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「自画像★2012」 -9人の美術家による新作自画像と小品展-
Editor's Note
Written by Mizuki TANAKA   
Published: October 11 2012
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池田龍雄《八十三年の距離》 画像提供:ギャラリー58

誰しも、自分の姿を、直視したことはないだろう。写真か、鏡の前に立ち、鏡面に映った自分と思わしき像か、あるいは水のある場所で水面に映った像を観て、なるほど自分がどんな姿をしているかと確かめるしか術が無い。他人を見つめる時よりも、何かに姿を反射させているプロセスの分だけ、時差が生まれている気もする。私たちは、いつも直ぐには自分が見えない。

ギャラリー58で今回開かれているのは、そんな、すぐには見えない自分を描いた自画像の展覧会である。それも、65歳から84歳までという作家歴の長い9名が生み出した作品だ。油彩あり、立体あり、にぎやかな自画像群である。

自画像というと、東京藝術大学の卒業制作では油彩で自画像が描き続けられていることを思い出す。作家を夢見ている段階の学生たちの描くそれは、あまりにも生生しく作家の若さを記録し、けれども生生しさとは反比例して、何故だか観た直後に朧になってしまう。それは、作家自身にも鑑賞者にも、描き手の姿がまだしっかりと見えていないからなのかも知れない。しかし、幾年も時を経た後になって鑑賞者は、「あの卒業制作には、画家の素質の総てが既に出ていたのだなぁ」と思わされたり、「随分、変化したものだ」と感じさせられたり、画家の姿がようやく見えてくる。

ところが、今回の展覧会のように、美術家として長年過してきた参加作家たちのそれは、記録では終わらない。自分を描くというよりも、自身の作風が作家自身の姿となっている例が多いことに気付かされる。若い作家には「今」しか描けないが、平均年齢75歳越えの面々が生み出す自画像には、長年の美術家としての人生が一作品に凝縮されているのだ。ひと目で誰れの作品かわかる作風で、なるほど、この美術家はこの姿だと思わせる像が作品に留められている。それは、写実的に描かれているということではなく、むしろ実際の形態はかけ離れていても、確かにその美術家の姿が浮かぶ作品なのだ。作者は、鏡に映った自分の姿を観る眼差しというよりも、鏡に映している自分の行為を観ているのかも知れない。鏡面に自分を映しこみ、その虚像が自分の目に届くまでにかかる時間の時差もなく、作家としての自分を知っているものだけが見られる姿が、そこにはしっかりと留められている。時間をかけて生み出された新作の自画像展、長年活躍してきた作家たちを知るという点でも、作品を作り続けることで何が生み出されるかを鑑みる機会としても、若者から作家と同世代の人たちまで、老若男女にお勧めの展覧会だ。

Last Updated on October 21 2015
 

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