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櫻井裕子 展
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 7月 06日

《untitled》2009年|H2000×W1500mm | 画像提供:中京大学アートギャラリー C・スクエア | Copyright© Hiroko Sakurai

櫻井裕子──同一性を断念すること
櫻井裕子の作品を見て思い出したことがある。
まずは古代ギリシアのプラトンの著作『饗宴(シンポジオン)』。これは恋について語り合うシンポジウムのレポートである。もちろんメインゲストは哲学者のソクラテスであるが、前座のパネラーのようにして喜劇作家のアリストファネスが登場する。彼は恋の起源を、もともと二倍あったとする人間の身体を神が無理やり二つに引き裂いたことにおく。裂かれた互いが、見失った元の分身を強く探し求めることが恋なのだ。続いて15世紀のイタリアまで時代が下るが、アルベルティは有名な『絵画論』の中で、絵画の起源をナルキッソスのように水面に写った自らの姿を掬い取ること、とした。言うまでもなく、ナルキッソスは自己愛の神である。ただし、そのテキストにはナルキッソスが花になったことだけが言及され、彼が池に落ちる過程は記述されない。最後に、普段、我々が何気に使っている「文章」を意味する「テキスト」という言葉は「織物」を意味するテキスタイルと語源を共有している。古代ローマ時代に遡れば、織ることと制作することは同じ言葉であり、言い換えれば文章には見えない縦糸と横糸があるのだ。

若い櫻井が制作する上でこうした歴史を意識しているかどうかは分からない。また「手で編む」という技術が歴史的に女性の手で家屋の中で担われてきたことを意識しているのかも分からない。しかし、彼女の作品にはこうした分身や自己愛といった芸術に関わる古典的な問題が知らず知らずのうちに通底しているように思えてならない。

彼女が制作した作品の中で代表的と言えるのは、自らの正面からの裸体の写真の柵を縦糸に知人の裸体の姿の写真の柵を横糸にして、それを編み織り合わせた作品だろう。他者の写真の像に自己の写真の像を重ねあわせることで三つ目の像を作る。

こうした彼女の作品において、縦糸と横糸が一般的な絵画のように方形のフレームを作ることがない。さらには写真を元にしていながらも、十全な像が結ばれて統一されたイメージとして立ち上がってくることもない。通常、作りあげていく作業は、洗練化に向かうと考えがちだが、彼女の場合はそうはならない。組み合わされた二つの身体の輪郭はずれていることもあり、デジタルのデータのように四角の斑点が目立つこともある。切り刻まれた紙が前へと垂れ下がるために塊としての膨らみを持ち、微妙に身体性を発生させている。その結果、イメージと身体が同時的に崩壊しているようにも見えるし、イメージがわずかにずれていることから映像的にも見えてくる。

立体的な歪み、周辺部分の未処理と、我々の視覚の中ではっきりと結ばれないイメージ、という三つの不安定要素が作品の表現性を高めている。逆に、縦糸と横糸が周辺部まで丁寧に縫い合わされ、その縫い合わせの構造をむき出しにせず、完璧な平面として完成された状態を作品として想像してみよう。むしろ、鑑賞者はそうした作品に驚嘆し、評価するかもしれないのだ。

芸術はかつて現実世界からは自律して完璧なものを創りだすことができる洗練された技術だった。ルネサンスの絵画やゴッホも含めた印象派の絵画が好まれるのは理由がないことではない。それは人体であれ、風景表現であれ、そこには傷や破綻がないからだ。現実にはめったに遭遇できないような芸術のフィクションに目を奪われ、その世界にはまり込んだとしても、現実へと戻ることができた。洗練されたものは洗練されたものとして、たとえそれが過酷な現実を選択的に象徴的に示したものでも、苦しむのは舞台や作品の登場人物のみであって、鑑賞している自分ではない。

櫻井はこれみよがしな洗練度の追求は行わない。逆に過剰さがある。でも、控えめさもある。この控えめさとは、自己と他者との同一性が実現されずに破綻したという、諦念に近い認識ゆえであろう。過剰さとは、同一性にかける夢の量とその不可能性の経験に由来する痛みによるものだろう。そして、その痛みが作品が鏡であるかのように鑑賞者へと共振するのだ。

もはや、2011 年の3 月の東北で起こった地震に始まる過酷な現実に直面した世界が、生活世界においても、そして芸術表現においても、軽やかな幸福には到達し得ないだろうという予感は、生きることに真摯の人であればあるほど感じることだろう。ただし、相手が人間であろうと、あるいはそれが芸術作品であろうと、懲りることなく、完璧に同一化したいという意味での恋すべき対象は必ず存在し、それによって幸福になりたい欲望だけはくすぶり続け、それを手がかりにして我々は生き続けることだろう。同時に、そうした欲望の断念を繰り返していき、それを痛みとして体験する。本当に懲りることなく。

櫻井の作品は反転した形であれ、このことを私に伝えてくれる。
-拝戸雅彦(愛知県美術館主任学芸員)

櫻井裕子 / Hiroko Sakurai
1984年 千葉県生まれ
2007年3月 京都精華大学芸術学部造形学科版画専攻卒業
2009年3月 愛知県立芸術大学大学院美術研究科美術専攻油画・版画領域修了
2010年3月 愛知県立芸術大学大美術科美術専攻油画・版画領域研修生修了

【受賞歴】
2006年5月 優秀賞 アートインディペンデントコンテスト(美研インターナショナル・東京ビックサイト・東京)
2008年7月 グランプリ 第16回プリンツ21グランプリ展小品部門(プリンツ21・銀座・東京)
2008年12月 グランプリ COLOR IMAGING CONTEST '08( セイコーエプソン・青山・東京)
買い上げ賞 第33回全国大学版画展(大学版画学会・町田・東京)
2009年3月 優秀作品賞 平成20年度愛知県立芸術大学卒業・修了制作展(愛知県立芸術大学・長久手)
優秀学生賞 平成20年度優秀学生賞(愛知県公立大学法人・愛知)

【活動歴】
2009年3月 平成20年度愛知県立芸術大学卒業・修了制作展(愛知芸術文化センター・栄・名古屋市)
2009年9月 櫻井裕子個展(floristgallery N・名古屋市)
2009年10月 For Rent! For Talent! 5(三菱地所アルティアム・福岡市)
2009年11月 『5+1』ジャンクションボックス(VACANT・東京)
2009年12月 あいちアートの森(旧新城東高校本郷校舎・愛知)
2010年4月 櫻井裕子個展(GalleryAPA・名古屋市)
2010年10月 あいちトリエンナーレ2010 現代美術展企画コンペ(長者町繊維問屋街・名古屋市)
2011年5月 櫻井裕子個展(Gallery APA・名古屋市)

全文提供: 中京大学アートギャラリー C・スクエア


会期: 2011年7月4日(月)-2011年7月30日(土)
会場: 中京大学アートギャラリー C・スクエア
ギャラリートーク: 2011年7月9日(土) 15:00 - 16:00 ※トーク終了後、17:00までレセプション

最終更新 2011年 7月 04日
 

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