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西村盛雄:甘露の雨 — 壁の彫刻
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2011年 4月 29日

《甘露の雨 — 壁の彫刻29》
2005年|木|58 x 8 x 12.5cm
Copyright © Morio Nishimura
画像提供:タグチファインアート

西村盛雄は1960年東京都生まれ、1985年多摩美術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。国内で何度か作品を発表した後、1991年にドイツ政府給費留学生(DAAD)として渡独。1995年にデュッセルドルフ美術アカデミーで G. ユッカーによりマイスター・シューラーを取得しました。1998年から1年間、文化庁派遣芸術家在外研修員としてヨハネス・グーテンベルグ・マインツ大学造形芸術学部文化精神学科に在籍し、宗教と現代美術について研究。その後2年半同学科に講師として留まりました。2001年には "2001/2002年度クンスト・スタチオン・聖ペーター教会の芸術家" というタイトルを受け、以来ドイツを拠点に制作活動を続けています。

甘露の雨
今回で5度目となるタグチファインアートでの個展で展示されるのは、西村がドイツに渡ってから制作をはじめ、現在も継続的に続けている「甘露の雨」と題された作品です。これらは、蓮の葉をモチーフにした彫刻作品で、積層したベニヤ板の角を落として滑らかな曲線を得る、という独自の方法によって制作されています。初めての試みとなりますが、このシリーズから壁の彫刻だけで展示構成致します。

人間と自然・世界との関係
渡独後、東洋からやって来た異邦人として常に自らのアイデンティティーと向き合わざるをえない立場に置かれたことも手伝い、西村は以前から自分のうちにあった仏教や宗教哲学への関心を再確認します。彼は約2年のあいだ作品を作ることを止め、書物を読んでは思索にふけるという、自らの考えを深める時間にあてました。

その結果西村は「人間は自らの意識のとった独自の方向と意識の高まりのために、世界のもろもろの存在するものと共にあるのではなく、世界の外に世界を前にして立つ認識者であり、支配者である(リルケ)」という近代的な認識論に対して大きな懐疑を抱くとともに、華厳経に「宇宙も地上の生物も、山水や鉱物も、すべて際限なく運動し、その運動たるや、大小と無く相互に依存しあって存立し、一つとしてとび離れて孤立しているものはない。人間もまた自然からみれば、自然自らの一面を作っている。」という一節を見いだし、深く共鳴するようになりました。そして、自分をとりまく自然世界をどのように理解しつき合っていくか、あるいはすでにその中にとりこまれている自分自身を、矛盾をはらみながらも、積極的に探求する行為である「解脱」を目的とする禅の思想に、自らの作品制作の拠り所を見い出すに到りました。 作品制作を再開するにあたって、彼が新たな作品のモチーフとして「輪廻」や「解脱」の象徴である蓮の葉を選んだのには、こうした事情があったのです。

透明な観念の凝固物
西村は、総ての物や空間に、質量と無関係に存在するエネルギーと、それら相互のあいだの呼応関係を常に意識するよう努めています。制作にあたっても、自らの手から生み出されるかたちの内に込める、あるいは潜んでいるエネルギーと、輪郭の外のエネルギーの相互浸透を確認しながら作業を進めます。

以下は西村自身のことばです。「生きている葉を写し取る、あるいは再製するという意識はない。蓮の葉をモチーフに制作しているのは、私に輪廻や宇宙などの形而上学的な存在をイメージさせるものがあり、それを直接的にかたちにしている。つまり蓮の葉に似た私の観念の透明な凝固物なのです。」

宗教全般への関心
西村の関心は仏教だけにとどまるものではありません。これまでにも、マインツの教会内でのグループ展では、木と毛皮で神様のためのベッドを制作したり、モーリシャスでのグループ展で、ヒンズー教の寺院を模した作品をセメントで制作するなどしています。これらは世界中で繰り広げられている人間の営みとしての宗教をヒントに、人間と自然、世界との関係を探っていこうとするものです。

移転後地下のスペースとなったタグチファインアートでの展示は、ほの暗い礼拝堂に似た鎮魂の場となるでしょう。静謐な祈りの空間をご体験下さい。

※全文提供: タグチファインアート


会期: 2011年5月14日(土)-2011年6月11日(土)
会場: タグチファインアート

最終更新 2011年 5月 14日
 

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