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ふるさとを描く-いばらき美術風土記-
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2011年 2月 18日

(左)藤島武二「大洗の日の出」昭和6 年(1931)
(右)横山大観「紫山返照」昭和10 年(1935)
画像提供:茨城県近代美術館

茨城とは,どんなところでしょう。芸術家たちの眼に,茨城はどのように映ってきたでしょう。茨城に生まれ,暮らした作家たちは,あるいは県外から茨城を訪れた作家たちは,茨城をどのように作品化したのでしょう。

例えば横山大観は,故郷である茨城の象徴として鹿島神宮と筑波山を描き,牛久に暮らした小川芋銭(おがわ うせん)は『常陸国風土記』を読んで古代を想像しつつ,水郷の田園風景にしばしば筑波山を描き添えました。潮来出身の小堀進は,霞ヶ浦の水面と空を繰り返し題材とし,水戸に生まれた五百城文哉(いおき ぶんさい)は,名所として知られた袋田の滝を油彩で綿密に表現しました。

また県外から訪れた画家たちによっても,茨城は様々に描きとめられています。特徴ある筑波山の稜線をはじめ,画趣に富む茨城の風景に魅了されて制作した画家は少なくありません。例えば藤島武二の晩年の代表作に日の出の連作がありますが,気に入って何度も描いた風景のひとつが大洗の海でした。

茨城県はかつての常陸の国とほぼ重なり,成立は7世紀に遡ります。東海道の最東端に位置する要衝地であり,当時の都の人々からは,自国の文化圏で最も遠い地域のように感じられていたかもしれません。そこは「常に陸」の文字通り,どこまでも土地が広がる,遠く彼方の豊かな国ととらえられていたようです。またこの地に聳える筑波山は男女が求愛歌を掛け合う「歌垣」の地として知られ,万葉集などの文献に繰り返し登場し,一種の観光地として古代から定着していたと考えられます。他にも,筑波山麓から広がる水郷,霞ヶ浦,「四度の滝」とも呼ばれる袋田の滝などが古くからの景勝地として,文学などの題材となってきました。さらに江戸時代には,常陸の三分の一を占めた水戸藩の徳川家が学問を奨励し,この地に豊かな文化を育む土壌をつくりました。そういった常陸国の歴史は,風景を捉える画家たちの眼にも少なからず反映されているでしょう。

本展覧会では,当館の所蔵品の中から茨城の風景,あるいは歴史や文化を主題とした作品を展示します。作品を通じて郷土を様々な角度から見つめ直すと共に,作品と風土の結びつき,あるいは画家たちのふるさとへ寄せる想い,「茨城のイメージ」などを紹介する展覧会とします。

※全文提供: 茨城県近代美術館


会期: 2011年4月29日(金・祝)-2011年6月12日(日)
会場: 茨城県近代美術館

最終更新 2011年 4月 29日
 

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