第1回所沢ビエンナーレ美術展「引込線」 |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 10月 15日 |
昨年のプレ展に始まり今回第一回を迎えた「所沢ビエンナーレ美術展 引込線」の「企画概要」は展覧会が目指すものを簡潔に伝えているが、その中に「美術家のみならず、執筆者も同じ地平の表現者として参加願うこと」※1 という一節があり、それが何を意味するのかとりわけ気になっていた。批評家が展覧会のキュレーターを務めることは珍しくないが、その後に続く文章を読むとそういう意味ではないらしい。「美術家はもとより批評家、美術館員、学者、思想家、他の美術を構成するすべての成員に、同じ地平で参加していただき「表現の現場」としての展覧会とともに、会期終了後には作品の記録と批評誌の機能を合わせ持つカタログを出版いたします」とあり、つまり批評家や美術館学芸員などの執筆者がカタログに文章を寄稿することがここでの「同じ地平での表現者として参加」することを意味しているようだ。それはキュレーターとしてとは別の形での「受け手」の展覧会参加である。ただ、「作家主導」を謳い文句にしながら「美術家」ではない、その「受け手」も積極的に展覧会の構成要素としていることが同展の大きな特徴だが、ではそれがどれだけ実際に機能しているかというと機能していないと言わざるを得ない。 所沢市の作家が中心となり、美術の〈内〉に留まらない〈外〉に開かれた展覧会を志向しているように見えながら、「引込線」がまったく〈外〉に開かれていない展覧会であることはまさしくその〈外〉の状況からわかる。会場となっている西武鉄道旧所沢車両鉄道は西武池袋線・西武新宿線の所沢駅から徒歩二分ほどの立地にあるが、駅から会場に向かう中でポスター一つ見かけないのだ。距離としては遠くなく、駅前には近隣の地図もあるから、会場が西武鉄道旧所沢車両鉄道であることさえ知っていれば地図を持たずともそこで場所を確認してたどり着くことは可能である。交番もあるから、わからなかったら警察官に聞けばいい。しかし、「美術に関心をもつ全ての人々の覚醒した意志を引き込む、吸引力のある磁場をつくり出したい」と立派な文言が概要に書かれながら、最寄り駅にポスター一つ貼られていないその状況は、すなわち「〈わかる〉人だけ来ればいい」ということにほかならない。もしかしたら私が見逃したのかもしれないが、駅のホームから会場まで歩く中で「引込線」を告知するものは会場外の駐車場に貼られたポスターをのぞき皆無であり[fig. 1]、広報の欠如は〈外〉に向かって開いていこうとする意志がないことを端的に示している。もちろん予算の問題もあるだろう。だが、たとえば近隣の店舗にポスターを貼ってもらうよう頼むくらいのことは、金銭的な問題というよりはそういう発想があるか否か、そして、それに向かって努力できるか否かの違いでありそれ以外ではない。
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最終更新 2010年 6月 13日 |