大竹伸朗 直島銭湯「I♥湯」 |
レビュー |
執筆: 田中 みずき |
公開日: 2009年 10月 12日 |
毎日、コラージュブックにピンナップなど暮しの中で見つけたものを貼り付け、上から絵具でペイントする制作を続けてきた現代美術家・大竹伸朗が、今回は日常で使う「生活の場」を作り上げた。銭湯である。 本銭湯内部の様子を少し紹介しておきたい。私が見たのは女湯だった。脱衣所の洗面台には、海の生物の絵。黒いベンチにはビデオモニターが組み込まれ、海女が若い肉体をさらしながら海で泳ぐ映像が流れる。浴室に入ると男・女湯の隔壁上にほぼ等身大の象の像が設置され、長い鼻を垂らしている。中央の浴槽の床には透明な板の下に女性のピンナップや古書の頁。浴槽奥の壁面には、大竹によるペンキ絵ならぬタイル絵がひしめく。描かれているのは魚介や女性の姿である。壁の下部はガラスで区切られ、向こうの空間に熱帯植物が並んでいる。浴室は大から小まで生き物で埋め尽くされている。生命感があふれるこの浴場は、おおらかな「生」の空間だ。 この女湯の空間は「女性」が所有するものではなく、あくまでも大竹という男性のものである。大竹の選んだ素材が沈む湯船に身をひたすとき、それは彼の生きてきた年月と体をあわせるようでエロティックだが、通常の銭湯や温泉で温水に体をゆだねた際に全てを受け止めてくれる気持ちになる-いわば母の胎内に回帰するような安堵の感覚はない。おそらく、「女湯」における女性のホモソーシャル(同性によってのみ作られる社会や世界)の空気もここでは生まれないだろう。一般的な銭湯では、血の繋がりはなくとも、祖母や母や妹や子供など各年代の「女性」と湯を共有するとき、皆他人であって他人ではない。子供たちに自分の過去を、年上の女に将來を重ねて場を共有する空間なのだ。しかし「I♡湯」では同性を眺めるという視点が揺らぐ。異性の大竹の眼差しで周りを眺めてしまう。つまりここは、他の客と共有する場というより、大竹という作家個人と出会う空間なのだ。 一つの新しい共同浴場の像が海に囲まれた暖かな島に生まれている。 |
最終更新 2011年 11月 11日 |