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齋藤祐平インタビュー(2/3ページ)
特集
執筆: 石井 香絵   
公開日: 2010年 12月 24日

出会いの年 ①「Night TV」

齋藤:2007年は僕にとっては出会いの年なんです。まず3月に平間貴大に出会った。


平間貴大とはこの夏齋藤が企画した『第1回平間貴大初レトロスペクティブ大回顧展』の出品作家である。平間は音楽活動がメインの作家だが、絵画や写真などジャンルを問わないコンセプチュアルな作品も多く制作している。


齋藤:平間が大久保のカオリ座という名曲喫茶で『それを覆う持続』という個展をしていて、その展示を見に行った時に初めて喋ったんだけど。平間も大竹さんが好きだったから『全景』展の話をしたり、あと僕も自分の作品を持ってきていたから見せたりして。その時平間に「似たものを感じるので何か一緒にやりませんか」って言われて、早速翌月に二人で「Night TV」というユニットを結成したんです。

―早いですね…。「Night TV」って不思議な響きですけど、どういう由来があるんですか?

齋藤:平間家に集まってグループ名を決めたんだけど、各々適当に思いつく単語を出して「Night」と「TV」を選んでくっつけただけですね。意味は特に無い。

―「Night TV」のメンバーにはアサさんという女性もいらっしゃいますよね?

齋藤:アサちゃんはその時まだ入ってなかったんだけど、名前を決めた直後くらいに高円寺のコインロッカーの裏の壁を使って展示をしたことがあって、その時丁度居合わせていたので三人になりました。アサちゃんは普段編集者なんだけど作品も作ってる人で、彼女と「あのコインロッカーの裏は使えるよね」っていう話をしていて。で、もともと僕と平間で互いの作品を交換していて、それをどう加工しても良く、自分の作品として発表しても良いことにしていたので、平間からもらった作品を素材にして展示をしようと思ったんです。それからコインロッカーの壁に作品を貼って、平間に「今『Night TV』の初めての展示やってるから」って電話で伝えたんです。後から平間が来た時に、「これはちょっとすごいんじゃないの?」と感動していました(笑)。「Night TV」の活動はそんな感じで、2007年4月から始まりました。路上でゲリラ的に行うものが中心になってますね。打ち合わせの帰りに三人で撮ったプリクラが後の平間のプリクラ作品を生んだりもしています。※4

fig. 4  『Dump Site Action』展示風景 2007年

fig. 5  『Dump Site Action』展示風景 2007年

fig. 6  『BOOKMARKS』フライヤー 2009年

―「Night TV」の活動は、私は8月の平間さんの個展で初めて知ったんですが、ゴミ捨て場での展示が面白いですね。

齋藤:ゴミ捨て展(正式名称は『Dump Site Action』。2007年6月に行われた。) は今のところ「Night TV」の代表作みたいな感じです。よく「あのゴミ捨て場の展示をやった人ですよね?」って言われます。街角の各ゴミ捨て場に作品を展示(=放置)して、そのままゴミとして回収されるというものです[fig.4、5]。展示する(=捨てる)場所はあらかじめチラシなどで告知しました。

―他にはどんな活動をされたんですか?

齋藤:マンガ喫茶でアーティスト・イン・レジデンス※5 もしましたよ。

―漫喫で、ですか?

齋藤:自称ですけど(.『Urban Camp Program』、2008年3月)。漫喫で6時間パックってあるじゃないですか。6時間滞在して、そこにある素材でどれだけ作品が作れるかっていう試みだったんです。僕はマンガをコピーしてコラージュを作ったりしました。アサちゃんもそんな感じで。平間は一晩でいろんなフリーメールに加入して、加入登録の確認メールをプリントアウトして、そのまま作品にしていました。出来あがった作品は翌日近くのコインロッカーの中に展示しました。

あとはブックオフ内でも展示をしました(.『BOOKMARKS』、2009年12月)。絵とかコラージュ作品をお店の本にはさむ展示です。はさむ本はチラシなどで予告しておいて[fig.6]。「王様文庫30冊目」とか、「西村京太郎50冊目」とか。三人それぞれ位置を五か所ずつ指定する予定だったんだけど、平間は結局一か所だけでした。ブックオフ自体を一冊の本と見なして、自動ドアにはさんだんです。

―自動ドアにはさんでも、落ちますよね…。

齋藤:落ちますね…。

―ブックオフの店員は展示が行われていたなんて予想もしていなかったでしょうね…。観客は結構来ましたか?

齋藤:当日はブックオフのまわりにチラシを撒きまくってたから、第三者の動きは全然追えてないですね(笑)。それでも直嶋岳史さんや神田聡さん、淺井裕介さんが観に来てくれて、すごく褒めてくれました。「Night TV」では、2006年の月イチの活動経験がずい分役立ちました。

―平間さんの作風が齋藤さんとはまた違った感じがするのも面白いですね。

齋藤:そうですね。僕が平間と出会った頃、彼は丁度作品を大量に作っていた時期で。最初はその量が沢山ということに作り手としての熱いものを感じていたんだけど、後に彼の表現上の特性はもっと別の部分にあることが分かりました。たとえばドローイング作品にしても、僕も結構早いスピードで描く方だけど、僕が10枚描いている間に平間は200枚くらい描くんです。でも彼は良い絵を描こうと思って描いていないから、制作動機がそもそも僕と全然違っている。その態度の違いにびっくりしました。

―良い絵を描こうとしないというのは、確かに平間作品全体に通じる重要な要素だと思います。ドローイングについては、以前ご本人から「描き続けていくとこなれた線が引けてしまって困ることがある」と聞いて、独特の努力をしているんだなと思ったことがあります。

齋藤:手を動かしているだけなんですよね。それ以上であってはいけない。平間は個々の作品の質ではなくて、独自のアルゴリズムを設定して作品を作っていくことに制作意欲を見出す作家なんです。やり方さえ発見すればいくらでも作れる。発見するきっかけはどんな所にも潜んでいるから、どんな媒体でも表現可能なんです。音楽でも絵でも文章でも良い。特にメディアの特性というか、どうしてもそこでしか出来ないことがあった方が燃えるみたいですね。たとえばプリクラは最初アサちゃんに誘われて撮ることになったんですが、平間がスタンプ機能やデコレーションツールを面白がってどんどん配置し始めて。それからプリクラ作品が始まったんですけど。

―平間さんのプリクラ作品は、顔すら隠れてしまっているところが面白いと思いました。デコレーション機能が興味の中心になっている。

齋藤:平間はそういう通常の見方を組み入れないところとか、設定に基づいて頭を切り替えることは得意ですね。僕も彼に出会って、はっとさせられることが何度もありました。



出会いの年 ②「聞き耳」

―淺井裕介さんとの「聞き耳」の結成も「Night TV」と同じ2007年ですね。

齋藤:はい。淺井裕介さんとは平間に会った翌月くらいに一度会ってるんだけど、その時は僕の印象が薄かったみたいで。その年の7月に桜島で再会して、仲良くなりました。

ゴミ捨て展が終わってから、『SA・KURA・JIMAプロジェクト2007』っていうNPO法人主催の町おこし型プロジェクトに参加しました。桜島の山下家っていう元旅館に一ヶ月半滞在して作品制作をしたんです。コンビニなんて行こうと思ったらめちゃくちゃ遠いし、生えてる草からして全然違うし、とにかく普段の制作環境とは全く違う環境でした。自転車もないし、車はあるけど僕は免許を持ってないから、閉じこもって作品を作るしかなくて。テレビもないし、娯楽は泳ぐことくらいしかない。誰かがコンビニからポッキーを買って帰ってきた時は、みんなで「ポッキーだ!」「うめえ~!」って騒いで(笑)。肉があったら「肉だー!」って騒ぐような状況でした。そんな環境だったから、毎日毎日作品を作り続けることに集中できました。僕は厨房の広い空間を使わせてもらったんですけど、大きい作品が作りたかったので良かったです。絵画作品の他にも壊れた冷蔵庫や食器などを使って立体作品を制作しました。

淺井さんは後半になってから、僕の作品作りがかなり進んだ後でやって来たんです。それで僕の作品を見て、何か伝わるものがあったようで「がんばったね」って言ってくれて。

桜島の滞在制作では淺井さんの他に遠藤一郎さんとも出会いました。一郎さんは今もグループ展とか、いろいろと声をかけてくれます。一郎さんを中心に「NATURAL HI!」っていうグループも結成しました。


淺井裕介は人や動植物を主なモチーフとして描き、国内外の美術館や公的空間での発表・制作を続けている作家である。遠藤一郎は「未来芸術家」の肩書で知られ、パフォーマンスや大規模なアートプロジェクトなど活発な活動を行っている。両氏との出会いは齋藤の活動の幅をいっそう広げることになる。


齋藤:淺井さんとは滞在中、特にお互いの作品について語り合ったわけではないです。僕の制作しているところを見に来てくれることはありましたが、そんなにお喋りな人ではないので。ただあの時は作り続けるしかないような環境だったこともあって、誰ががんばっているかというのがすごく目に見えるんです。淺井さんが午前中から夜明けくらいまでずっと描いてて、それを近くで見ていたから僕もがんばろうと思わされました。たくさん言葉を交わさなくても、たまにお互いの現場を行き来して進み具合を確認することでつながりが生まれた気がします。

fig. 7  『GEISAI MUSEUM 2』でのライブペイントの様子。左が淺井、右が齋藤。2008年

fig. 8  『このはな咲かせましょう』展示風景 2008年

桜島での滞在制作の後、僕と淺井さんが居合わせた時によくライブペイントをするようになったのでコンビ名を付けることになりました。「聞き耳」という名前が決まったのは2008年6月に当時清澄白河にあったMAGIC ROOM?で一郎さん企画の『全員展!!!!!!!!』に参加した時です。僕がフィーリングで決めた名前なので、特に意味はないんですけど。その前にも僕の個展『23時59分』の関連企画や『GEISAI MUSEUM 2』に「NATURAL HI!」で参加した時にもライブペイントを行っています[fig.7]。

―今年の夏に銀座のARATANIURANOでもライブペイント「紙電話・ライブ」をされていましたよね?

はい。あれは淺井さんの『植物と宴』という個展の関連企画ですけど。ライブペイントの他にも、淺井さんに誘われて大阪の『このはな咲かせましょう』という滞在型のプロジェクトに参加したこともあります[fig.8]。工場だった建物を展示場所として使ったんですけど、今までの滞在制作で一番手を動かしたかもなあ。今年の4月には善福寺公園で『聞き耳ピクニック』も開催しました。お花見も兼ねているんですけど、僕と淺井さんで、人の間をぬって下のビニールシートに絵を描いて。その日は結構寒かったから、ほっカイロに絵を描いてみんなに配ったりもしました。

淺井さんはよく壁に泥やマスキングテープを使って絵を描くんですけど、展覧会が終わったら全部消してしまうんです。テープもはがしちゃう。展覧会によって紙に描いた方が良い場合は紙に描いていますが、ほとんど後に残らない場合が多いです。絵描きとしては珍しいタイプかなあと思いますけど。僕は作品を展示終了後も残したいタイプで、自分をアーカイブすることに興味があるので淺井さんとは逆な感じがあります。『あいちトリエンナーレ2010』の淺井さんの壁画作品なんかものすごく良くて、壁から天井から部屋いっぱいにすごくがんばって描いてるのに、会期が終わったら掃除されて無くなるんです。でも本人はそういう絵のあり方も良しとしている。僕はもったいないとか思っちゃうので、なかなかあそこまでは割り切ってできないんですよね。

僕は作品を作りつつもそれらのアーカイブ化や編集に興味があるけど、淺井さんは作品を残すというところとは別の部分にも価値を見出して描いている。そんな風に作った後の作品に対するアプローチの全然違う二人が、作る瞬間の勢いというか、「描くぞ」っていうある意味原始的な衝動で互いにぶつかっていく感じが「聞き耳」の面白さではないかと思っています。



二つの個展、公園コンサート

fig. 9  『23時59分』フライヤー 2008年

fig. 10  『やまびこ(2LP)』展示風景 2010年

fig. 11  ≪呂律3≫ 2008-2010年
ポスターカラー、ジェッソ、カセットテープ他
60.0×46.0cm

―「聞き耳」の話にも出ましたが、2008年1月に『23時59分』という個展をされていますね。

齋藤:『23時59分』は今まで自分が作ったものをどかんと見せたいっていう個展でした。展覧会タイトルはこれからゼロになる手前という意味を込めて付けました。

―あの展示のフライヤー良いですよね![fig.9]

齋藤:ありがとうございます。高円寺の商店街の空き物件を借りたんですけど、こたつを出して飲み会とか、普通のギャラリーでは出来ないような自由なことが出来て良かったです。islandの伊藤悠さんや結城加代子さんともこの時知り合ったし。商店街の空き物件を借りて個展をするっていうのがキャッチーだったみたいで、他にも沢山人が来てくれて、いろんな出会いがありました。展示の中身はもちろん充実させないといけないけど、場所とかパッケージングが面白いとやりがいは増すと思うし。全体のパッケージングも考えつつ、作品は一生懸命作るということを続けていきたいと思っています。

―その次の個展は今年の2月に渋谷の20202で行われた『やまびこ(2LP)』展ですね[ fig.10、11] 。

齋藤:20202ってマンション2部屋分の展示スペースで、今は無いけどその時は部屋と部屋との間に仕切りがあって、空間が二つに分かれてる感じがあったんです。オーナーは泉沢儒花さんと藤本ゆかりさんのお二人なんですけど、泉沢さんはappel,、藤本さんはOFF SITEっていうギャラリーを以前されていて。僕はどちらのギャラリーにも音楽のイメージがあったので今回は音をモチーフにしようと決めて、仕切りの壁を一枚ずつのLPに例えることにしました。展示作品は何かしら音と関わりのあるものをモチーフにして、作品が一曲一曲を表すものとしました。ジャケットは玄関と考えてLPに入る前にドアを取り付けて、観客はそのドアを開けてLPの空間に入るようにしたんです。ドアを開ける時にヒモが引っ張られて小さい絵がぐんっと浮き上がって、天井のタンバリンにぶつかって「ガシャン」と音を立てるんですが、その音はイントロなんです。この仕掛けは子どもが結構喜んでいました。あと無音部分も作りました。ボーナストラックの前に長い無音部分があるじゃないですか。そこに対応させてるんですけど。音楽をモチーフにしていない作品を展示するゾーンです。

―かなりテーマ性がありますね。

齋藤:見せ方が洗練されてきてますね。前は何のコンセプトも無く、とにかく自分のエネルギーを出すことを考えて作品を詰め込んでたんだけど。『23時59分』もそんな感じで。2009年3月に南千住のアプリュスで開催された『UNLIMITED』っていうグループ展に参加した後からいろいろ変わったかな。詰め込みはやればやるだけ膨らんでいくけど、その後はもっと見方のスイッチを変える作業をしたいと思うようになって。エネルギーを出すことも考えつつ、見る側のことも同時に考えたいと思うようになりました。でも、たとえば『やまびこ(2LP)』展のコンセプトなんて見ただけじゃわかんないから、会場にライナーノートとして解説を天井から吊るして無料配布して。説明なんて見る必要がないという人はもちろん見なくて良いし。

―音との関連でいうと、この展覧会の会期中に『第16回公園コンサート』に参加されていますね。

齋藤:『公園コンサート』※6 には第1回から何度か参加しています。直嶋岳史さん主催の、大体どこかの公園を会場に行うコンサートなんですけど。直嶋さんとは平間のつながりで2008年の3月頃にはじめてちゃんと喋って、その年の12月に第1回目の『公園コンサート』に誘われました。中野の平和の森公園でしたね。僕、楽器何も出来ないから、それでライブやらないかと言われてどうしようかと思ったんだけど、この時はスケッチブックをぱらぱらめくって即興で話を作って朗読するという演奏をしました。

『公園コンサート』を通じて、絵を楽器として使うということを発見しました。今まで展覧会はいろいろやってきたけど、特にスケッチブックってそんなに見せる機会無いんですよ。でもたまっていくし。やぶってピンで留めるのはあまり好きじゃないので。束になってるのが好きだからやぶることに抵抗があるんです。描いてる順番から状態のムラが読めたりするのでもったいないし。印刷・製本してベスト本にしたりはするけど、違う使い方はないかなあと思って。ライブで使うというやり方を発見したという気持ちはすごくありました。『第16回公園コンサート』では木にヒモを引っ掛けて筆をぶら下げ、足でヒモを動かして下の紙に描くという演奏をしました。

―『公園コンサート』は演奏というよりはパフォーマンスに近いものが沢山ありますよね。You Tubeにアップされているものも観たんですけど、第8回の時の、齋藤さんの『配達』というパフォーマンスが面白かったです。自販機を玄関のドアに見立てて「お届け物です」とノックしてまわるものです。※7

齋藤:千葉でやった時ですね。その時みたいに、絵とは関係ないものも沢山あります。『公園コンサート』に参加するようになってから、ライブ会場でパフォーマンスをすることが増えました。紙相撲を作って、ライブの重低音で動かしたり、フライヤーを使ってコラージュを作って、そのフライヤーのライブ会場でパフォーマンスに使ったり。

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脚註
※4
平間のプリクラ作品は http://d.hatena.ne.jp/recorded/20101121 にて閲覧できる。

※5
アーティスト・イン・レジデンスとはアーティストを一定期間ある土地に招聘し、作品制作を支援するための公的事業のこと。

※6
公園コンサートのこれまでの記録についてはhttp://parkconcert.blogspot.com/ を参照。

※7
第8回公園コンサートで行われた齋藤祐平「配達」はYou Tubeから視聴できる。(「第8回公園コンサート 齋藤祐平「配達」」http://www.youtube.com/watch?v=qzN7LONWQKc )

最終更新 2015年 10月 13日
 

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