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小谷元彦:SP 4 ‘The specter’ in modern sculpture
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 6月 24日

≪SP4 the specter -What wonders around in every mind-≫2009年 H230xW235xD105cm FRP, cloth, horsehair and other media 写真:木奥惠三|画像提供:山本現代|Copyright © Motohiko ODANI

SP4 "the specter" in modern sculpture (2009) Installation view at YAMAMOTO GENDAI 写真:木奥惠三|画像提供:山本現代|Copyright © Motohiko ODANI

    白金高輪のギャラリーコンプレックス。エレベーターに乗り込み、三階のボタンを押す。チン、という音がして扉が開くと、目の前にあらわれるのが小谷元彦による騎馬像だ。ボロ衣を腰に巻き、日本刀を逆手で持つ人物は、目はおろか全身の筋肉までをも剥き出しにしたゾンビである。跨がる馬も同様の容貌で、鞍やくつわといった馬具も使い古されている。対照的なのは、その中で日本刀がピカピカと光り、台座もまた美しく整っているという点である。後者は桐製だろうか、さながら棺桶を思わせる。生と死が、そこには同時並列的に存在しているようだ。おそらく同作は、階段を使いエレベーターとは異なるギャラリー入口から展示室に歩を進めることで向き合うのではなく、このように突然あらわれる、という形で対面するのが好ましい。それほど、山本現代での今回の展覧会、「小谷元彦 SP 4 ‘The specter’ in modern sculpture」(2009年4月4日〜5月2日)は作品だけで空間を一変させている。

    だがその印象は永続しない。ゾンビの騎馬像というイメージについて、私は少なくとも等身大の立体造形というかたちでは見知らない。けれども漫画やテレビゲーム、ホラー映画などでゾンビは珍しい存在ではなく、たとえば三浦建太郎が「ヤングアニマル」(白泉社)で連載中の漫画『ベルセルク』には「髑髏の騎士」という小谷の騎馬像ともきわめてイメージの近いキャラクターが登場する。加えて作品に近づきしばらくして気づくのは、質感についても既視感がある、ということだ。その源にあるものは、数百年という時間の経過によって制作当初のきらびやかな極彩色が削ぎ落とされ古色蒼然とした彫刻、つまり仏像のイメージにほかならない。

    頭髪部分に百合を挿し右手に心臓を持ち不適な笑みを浮かべる裸婦像の、ほぼ全身にほどこされている唐草文様に注目しよう。そのイメージは、明治期に活躍した彫刻家・橋本平八の、同じく全身にまるで鱗のような装飾を有する≪花園に遊ぶ天女≫(木・淡彩、121.7×30×24cm、1930年、東京藝術大学所蔵)を思わせないか。より時間をさかのぼれば、日本に唐草文様が持ち込まれた初期、飛鳥時代の≪玉虫厨子≫(七世紀中頃、法隆寺)ともその古めかしい色彩は共通している。橋本の同作が明治時代積極的に採用されたロダン的彫刻とは趣向を異にし、むしろ近世以前のそれを想起させることは重要である。

    そう、小谷が今回発表した作品は、日本彫刻史上の騎馬像と裸婦像を「ゾンビ」という独自の見解のもと、彫刻史だけではなく、文化史を巧みに取り入れることで成立している。私たちが仏像だけではない古美術一般に対し、経年変化により絵具の剥落や部分的な欠損があろうとも美を見出すという態度もそこには反映されているかもしれない。それゆえ小谷の今回の作品について考えるとき私が最も興味深いのは、最初から死を含有してしまった作品の今後である。仏像の変化よろしく、あまたの時間の蓄積は強化プラスチック製の生きる死者にさらなる変化をもたらすのか、否か。もっとも、ゾンビの果てを見たいという私の欲望は、世界の理を知らぬものの戯言なのかもしれない。

最終更新 2015年 10月 24日
 

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