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忠田愛:内側の他者
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2008年 11月 17日

fig. 1 「忠田愛個展−内側の他者−」(neutron)展示風景 撮影=表 恒匡 (neutron)|© 2008 gallery neutron

fig. 2 忠田愛《白韻一行》2008年、麻布・陶土・和紙・岩絵具・土性顔料・墨・インク・木炭・獣骨炭、120号
撮影=表 恒匡 (neutron)|© 2008 Ai Chuda

fig. 3 忠田愛《内側の他者》展示風景|撮影=表 恒匡 (neutron)|© 2008 gallery neutron

fig. 4 忠田愛《内側の他者》2008年、麻布・陶土・和紙・岩絵具・土性顔料・墨・インク・木炭・獣骨炭、10号
撮影=表 恒匡 (neutron)|© 2008 Ai Chuda

    2008年3月の歩歩琳堂(神戸)での個展に引き続き、忠田愛(1981年生まれ)にとって今年二回目となる個展「内側の他者」が京都のギャラリー、neutronで開催された。neutronはカフェに隣接する一面がガラス張りになっていることに加え、高い天井を見上げれば焦げ茶色の梁があらわになっており、展示面積のわりにとかく開放感のあるギャラリーである。今回その空間に広がっていたのは、絵画が織りなす豊穣で美しい世界だった。

    ギャラリーに足を踏み入れまず目に飛び込んできたのは、正面に掛けられていた120号の大作、《白韻一行》(麻布・陶土・和紙・岩絵具・土性顔料・墨・インク・木炭・獣骨炭、2008年)。描かれているのは肌もあらわに仰向けになっている老人である。痩せ細り、その皮には肋骨が浮かび上がっているが、そこには一般的に考えられているような老人の弱々しさは認められない。その右手には、墨か、炭か、インクか、はたまたそのすべてか、画面の中で黒色が最も強くのっていている。モデルとなった老人はかのような鋭い手をした人だったのか、あるいは作家が手に対して強い関心を抱いていたのか。一方で体の輪郭から下方へ流れ落ちる墨の痕跡が、一見重々しい作品に浮遊感を与えている。

    視線を左に向けると、10号のすべて同じサイズからなる十三枚の連作、展覧会と同名の《内側の他者》(麻布・陶土・和紙・岩絵具・土性顔料・墨・インク・木炭・獣骨炭、2008年)が壁一面に、横一列に配置されている。上記の作品とモデルを同じくするが、それらは作品によって程度の差はあるものの往々にして明確な形をとっておらず、あくまで〈人らしきもの〉に留まっているという点で共通している。だがそれでも正面を向いているということがわかるのは、眼窩や鼻筋、唇といった顔のパーツがうっすらと、それとわかるように描かれているからである。しかし眼に関してはその多くは〈くぼみ〉であって、眼球といえばいいか眼光といえばいいか、いわゆる〈眼〉としてわたしたちが普段認識しているものはほとんど描かれていない。けれども確かな視線を感じるのはなぜだろうか。随所に貼付けられた紙の重なりが正面像には欠けがちな奥行きを画面に与えていることもあわさって、ときおり眼の穴に吞み込まれそうになる。

    個展の中心となっていたこれら二作品は、忠田が四年間モデルとしてきた友人の祖父の死を経て制作したものだが、だからといってある特定の人物の肖像とだけ見ることはできないだろう。その制作過程において忠田の頭には老人との思い出なり想念が渦巻いていたに違いないし、それまで親密な付き合いをしてきた一人の人間の喪失が大きな心の痛みを与え、絵を描くことを困難にしたということは忠田本人も言葉にしているとおりだが、※1 けれどもそうして絵画として立ち現れたものは特定の個人を超えたものだったと言えるのではないか。

    墨で線を引き岩絵具で彩色するという一般的な方法だけを用いず、ときには画面を水で流し、バーナーで焼くという手法を採用していることからも明らかなように、これまでも忠田は一目でそれとわかる、正確に対象を形作ることだけを目的とした作品をほとんど制作していない。形をとることに対して少なくない違和感があるのか、それとも単純に関心が無いのか、なんにせよそうして続けられていた制作が結果として一つの結節点を迎えたのが今回の《内側の他者》であるとわたしは考える。

   モデルの老人の死にショックを受けながらも忠田は、「それでも、絵を描きたいという気持ちだけはこれまでにないほど強くあった。
わからないならわからぬことを描くしかないと思った。彼の死の直後から、構図も大きさも同じ絵を日記のように何枚も描き、同じ制限のなかで試み続け、内側の他者としての彼の断片をつむぎあわせる中で何かが手に残ればいいと思った」。註2 つまり忠田はそのとき、「わからない」ながらに筆を進めることによって、〈他人〉という意味ではない、自分ですら自分のすべてをわかっているということはあり得ないという意味での自らのうちに潜む〈他者〉に身を任せて絵を描いていたのではないか。あまりに作家の言葉に寄りかかっているように見えるかもしれないが、似てはいるもののそれぞれに異なる形を浮かび上がらせている《内側の他者》にはそう思わせる力がある。描くという行為が明確な意識によってのみなされるのではなく、たとえば一本の線を起点として、それ以後絵画それ自体の持つ内在的な力に導かれるようにして、似ているけれども所々違う作品が十三作生まれたと言えばいいだろうか。そうは言っても忠田が類例の少ない正面向きの肖像を描き続けたという点で、作家の〈わたしは今何を描くべきなのか〉という意思の介在ははっきりと認められる。要はその自己の意思とそうではない力のせめぎ合いをどう決着づけるかということであり、各々の過多とも過小とも言えない適度な描き込みからはその均衡した緊張関係が見て取れる。個人の死を出自としているだけにこういう言い方は気が引けるが、以上のことから《内側の他者》は、忠田にとってエポック・メイキングな作品と捉えることができるのではないだろうか。ただそれも、十三点もの連作であったこと、そしてそれが横一列という簡素でありながら効果的な展示構成だったことも理由となっているかもしれない。良くも悪くも、出点数や展示空間、展示構成によって大きく雰囲気の変わる作品であるだろう。

    最後に付け加えたいのだが、以上の作品に近づくことでわかる画面のひび割れや絵具の剥落は、前述したように火や水を使った手法に主な原因があると考えられるが、それらが基本的に自宅二階の路地に面したベランダ、つまり屋外で制作されたということもその一因になっているだろう。太陽から照射される、ときに強く、ときに弱々しい光線、風が運んでくる砂埃に粉塵、そして雨粒。外から断絶されたアトリエには存在しえないそれら自然の要素は、作家を作品の絶対的な支配者という立場から遠ざける。なにも今回の作品に限ったことではないが、そうした先に立ち現れるのはまるで大地を想起させるような質感のマチエールである。忠田の作品が一見激しい身なりをしているにもかかわらず不思議とわたしを落ち着かせるのはそのためだろう。すべてをコントロールしようとする意思によって作られた作品は、完成度こそ高いかもしれないが、息苦しくもあり、他人がその世界に入り込むことを拒絶する。自らを外に投げ出すこと、そのことに対して抵抗を感じない忠田の身軽さが、作品を風通しのよいものにしているのである。

脚注
※1
以下、今回の個展に際して発表された作家のステイトメントを参照されたい。一部、脱字と思われる箇所を補っている。「いつかものに物理的なかたちが消滅すること、それは自分のテーマの中にもあり、常々思ってきたことだったが、実際にずっと描いてきた特別な人が亡くなったことは想像以上に自分を揺らした。それは彼が生きていた時に描いていた感覚とは非なるものだった。像が立ち現れると同時に消えていき、たしかな線が引けなくなった。かたちをとるということへの不信感が募り、今まで自分の中にあったものも小さく霞んで見えなくなった。」出典:http://www.neutron-kyoto.com/gallery/08_10_dm/CHUUDA_Ai/statement.htm
※2
出典:同前

参照展覧会

展覧会名: 忠田愛:内側の他者
会期: 2008年10月28日~2008年11月9日
会場: neutron kyoto

最終更新 2010年 7月 06日
 

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