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小袖:KAZARI -日本美の情熱-展
レビュー
執筆: 瀧口 美香   
公開日: 2008年 11月 11日

fig. 2 伏籠(江戸時代後期) © 2008 Nikkei Inc.

fig. 1 籬(まがき)に牡丹と扇面花卉模様(江戸時代中期) © 2008 Nikkei Inc.

    かつてこの着物を身にまとっていた女たちは、もう一人も生きてはいない。しかしながら、着物のデザインは、まるで肖像画のように女たちのことを代弁している。彼らがいったいどのような人生を生きた人であったのか。

    裾のあたりに扇が舞って、肩から腰にかけて垣根と牡丹が描かれる [fig. 1]。この着物をまとう人は、垣根に囲まれ、守られた庭の中で、大切に育てられた大輪の牡丹のような人であろう。両親は娘を宝物のように慈しみ、それは庭師が丹精こめて花を育てるようなものであった。垣根に囲われているために、男たちはそうやすやすとはこの娘に近寄ることができない。足元に散った扇が示すのは、うまく舞を舞った者が、垣根を乗り越えて娘に会えたということか、あるいはあきらめて扇を残して立ち去った後ということか。

    伏籠は、縦横80センチメートルくらいの箱型で、格子状の骨組みに、目の細かい網を張ったものである [fig. 2]。上から着物を被いかぶせ、中で香を焚くと、香が着物に乗り移る。今日はお気に入りの着物、雲間に花車模様の着物を伏籠にかぶせよう [fig. 3]。着物に描かれた雲の模様は、香の煙を吸い込んで、ますます大きくなる。この着物を身にまとうと、女の身体は雲に包まれ、その雲からはもくもくと香がたちこめる。女に近づいた男は、煙にまかれて思わずその煙の中に身を低く沈めた。

fig. 4 橘に蓑笠模様(江戸時代前期~中期)© 2008 Nikkei Inc.

fig. 3 雲間に花車模様(江戸時代中期) © 2008 Nikkei Inc.

    橘の木の幹に、蓑笠が二つ掛けられている [fig. 4]。橘の木の下で、男女が逢瀬を重ねている、おそらくは人目を忍んで。二人は蓑笠をかぶって身を隠し、こっそり家を抜け出てきた。隠れ蓑を身に着けたので、二人の姿は見えなくなって、誰も彼らのことに気づかない。橘の木の下にやってくると、男は蓑笠を無造作に幹に掛ける。女もまた、ためらうことなく蓑笠を脱ぎ捨て、その身体を、愛してやまない男の前にさらすのだ。

     両肩のあたりに、青地に白抜きの藤の花が咲き乱れる [fig. 5]※1。夜の庭であろう。花弁は月光の下で白く発色する。腰から裾にかけて、障子が描かれている。庭に面した家の障子であろう。庭の月を見ようと、男はこの障子を開ける。しかし彼が開けるのは実のところ、障子ならぬ着物の裾である。するとそこに現れるのは、月ならぬ白い女の肌である。着物の下に覆い隠されている女の肌を、障子の向こうに出ている月に見立てているのだ。障子を介して透けて見える月明かりは、女の肌の白さである。障子を開け放つとき、そこに見えるのは月のように明るい女の肌。

fig. 6 松枝垂れ桜に蹴鞠模様(江戸時代後期) © 2008 Nikkei Inc.

fig. 5 納戸縮緬地藤障子模様(江戸時代中期) © 2008 Suntory Museum of Art

    「まつ」ということばには、二つの異なる意味がある。名詞の「まつ」は松の木のことであり、動詞の「まつ」は、何かを待つことである。そのために人々は、松とは「待つ」木であると考えるようになった。松は、神を待つ木であると。細い針のような葉は、わずかに震えて、神の到来をわたしたちに告げる。そうでなければ、神が地上に降り立つそのわずかな気配に、わたしたちは気づくことができない。枝葉はていねいに剪定される。なぜなら、松の枝葉は、神が地上にやってくるための通り道となるから。

    に囲まれた庭で、鞠がぽーんと高く蹴り上げられた [fig. 6]。(浅葱薄紫の地に映えるのは月ではなくて、鞠である。)ところが、蹴鞠に興じるはずの人々の姿は見あたらない。人ではなくて、この庭にやってきた神が、鞠遊びをしているらしい。神は松の木に迎えられてこの庭にやってくると、しかめっ面で鎮座ましますかわりに、鞠を蹴って遊ぶ、声を立てて笑いながら。いったい、この着物を身にまとう女とはどういう人なのだろうか。着物の模様を介して女は今も語る、「わたしのからだ、神々の遊ぶ庭となれ」。

※図版出典:日本経済新聞社他編『小袖 江戸のオートクチュール』(東京、2008)

脚注
※1
作品は「KAZARI 日本美の情熱」展(2008年5月24日~7月13日)に出品された。サントリー美術館他編『KAZARI 日本美の情熱』(東京、2008)。

参照展覧会

展覧会名: 小袖:KAZARI -日本美の情熱-展
会期: 2008年5月24日~2008年7月13日
会場: サントリー美術館

最終更新 2010年 7月 06日
 

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