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「闇を掻き入て」北川麻衣子 展
レビュー
執筆: 五色 由宇   
公開日: 2008年 10月 28日

《聴いてほしい物語がある》(2008年), 136×80cm ダーマトグラフ / 紙・パネル © 2008 GALERIE TAIMEI

《芽吹きの踊り》(2008年), 31×23.5cm, ボールペン / 紙 © 2008 GALERIE TAIMEI

    北川麻衣子と言えば、ボールペンによる中世寓話テーマの作品、と即連想される程に、若干25歳にして膨大な数のそうした作品を制作している。利き手が他の行為で塞がらない限り、日長ひたすら描き続けるという生活故であろう。
    その北川が昨年、ボールペンに代わる具材を手に取るようになった。それが油性ダーマトグラフである。※1プロのアーティストとしての歩み出しとそれは同じ時期に重なり、それまでの小ぶりで愛らしかった作風は、何倍もの大きさのカンバスに黒々とした世界が広がる、重厚さを持ちえるようになった。
    なぜダーマトグラフを用いるようになったか、という点については、北川自身が「作品を大きくしたいと思った時、ボールペンでは限界があった」※2と述べているが、油絵専攻の彼女がボールペンに抱く嗜好に連ねて選んだものが、なぜ油絵の具ではなく、ダーマトグラフであったのか。

    北川は、「闇」を作品のテーマとして頻繁に選ぶ。幼少時代に読み漁ったという西洋寓話で占められた彼女の想像世界は、まさに闇の世界であり、そこは半人半獣の妖怪、妖精、動物たちでびっしりと埋め尽くされたものなのである。※3それを極細0.5mmのボールペン※4の黒い点で埋めるように描くのには、尋常ではない労力と時間を要する。当然、手がけられるサイズにも限界があろう。また、点で敷き詰める「闇」には否応なしに点間の隙間が生じるため、塗りこめられた状態にはならない。実際に、北川のボールペンによる作品 [fig. 1] を見ると、闇の世界を描きつつ、空気を孕んだような軽やかさと明るさがある。

《眠ても覚めても》(2008年), 150×80cm ダーマトグラフ / 紙・パネル
© 2008 GALERIE TAIMEI

《今夜見る夢の話》(2007年), 130×91cm ダーマトグラフ / 紙・パネル
© 2007 GALERIE TAIMEI

    一方、ダーマトグラフによる作品 [fig. 2] を見ると、その闇は塗り込められた漆黒のものと変化し、そこには点の隙間が生じる、抜けたような軽やかさはない。ろうを含んだダーマトグラフは、皮膚にすら描けるという軟らかさと接着性を持つ。今や北川の「闇」は不透明さを増し、息苦しい程に強く、張りのある質感をもたらすようになった。彼女は、そのダーマトグラフでベタ塗りした上から、消しゴムで「引きずって」色を抜くという。※5ボールペンを用いていた時は、紙の白さ=光を埋める行為が、ダーマトグラフにおいては、カンバスの白さ=光を削りだすという行為にとって変わったのである。これにより、北川は、「何か居るだろう」と恐れおののく闇を描く自分を、「何かで埋め尽くす」のではなく、「埋め尽くしている何かを探り出す」という立場に置き換えることが出来たのではないか。

    ダーマトグラフを用い始めた最初の作品《今夜見る夢の話》(2007)[fig. 3] を見ると、白と黒のコントラストは柔らかく、黒の部分は透けるような透明感を持ち、作品から受ける軽やかさはボールペンの作品と共通したものがある。これが、最新作の《眠ても覚めても》(2008)[fig. 4] になると、背景の黒さは漆黒となり、そこに描かれる生き物たちは、目を凝らして見る対象となっている。「ダーマトグラフに出会って、できることが広がった」※6という北川が、まさにその具材の特性と、自分の描きたい闇の世界を折り合えるようになってきたと言えるのではないか。

    今後、北川が模索していく更なる進化に対して、ボールペン作品で無尽蔵に描かれる生き物たちの躍動感や賑やかさが充満した寓話世界の魅力を、ダーマトグラフの漆黒からも同じくらい浮かび上がらせて欲しいという願いがある。それぞれの良さが融合した時、さぞかし迫力のある北川世界が描かれるのではないかと期待している。

脚注
※1
三菱鉛筆の登録商標
※2
2008年8月19日北川インタビューより
※3
2008年8月19日北川インタビューより
※4
三菱鉛筆製ボールペン「uni」極細0.5mm
※5
2008年8月19日北川インタビューより
※6
2008年8月19日北川インタビューより
最終更新 2010年 7月 06日
 

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