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塩田千春:精神の呼吸
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2008年 10月 28日

    三年という短くない時間をかけて準備された塩田千春(1972年大阪府生まれ)の展覧会※1が、わたしにほとんど何の驚きも、戸惑いも与えるものでなかったということは、わたしにとってとても驚きだった。

《大陸を越えて》2008年 靴、毛糸
写真提供:国立国際美術館|© 2008 Chiharu Shiota

    会場となった国立国際美術館は下へ下へと降りていく構造になっており、コレクションを展示するB2Fと企画展を行うB3Fに大きく分かれている。今回塩田の展覧会「塩田千春 精神の呼吸」が行われたのはB2Fであり、展示はその大部分を使って行われた(同時に「コレクション2」として塩田の作品の先に石内都と宮本隆司の写真が展示されていたため、すべて、ではない)。
    興ざめだったのは、B2Fを目指してエスカレーターを下っていく、そのかなり早い段階で《大陸を越えて》(2008年)[fig. 1]が視界に入ってきたことである。日本国内で様々に呼びかけを行い収集した、2000足を超える「履き古した」靴に赤い毛糸を繋げたその作品は、タイトルこそ違うもののほとんど同じように作られた作品がポスターやチラシのメイン・ヴィジュアルに使われており(《DNAからの対話》(2004年))、今回最もメディアに流布したイメージに違いない。まさかそれをエスカレーターに乗りながら見ることになるとは思わなかった。観客を呼び込む導入としての役割は果たしたのだろうが、以下の点も含め、これが展示として効果的だったとは考えにくいのである。
    作品は、上記のヴィジュアルでは作品が暗い空間に浮かび上がるように展示されていたのとは異なって、スポットライトが照る明るい空間におさまっていた。作品がインスタレーションである以上、その場所によって印象が大きく変わる可能性は了解しておく必要がある。しかし、なぜこの作品をそれほど明るい空間に置かなければならなかったのか、わたしには見当がつかなかった。それぞれの靴に付けられたかつての所有者の「思い出」を、観客が逐一読むことができるように?そもそも言葉に重きを置くのであれば、こうして〈作品〉にする必要などなく文集でも作ればいい。なんにせよ、暗い部屋で伸びる赤い糸と、明るい部屋でのそれとでは印象が正反対にならざるをえない。わたしが期待していた、塩田の作品に通底している独特の〈重さ〉のようなものはそこでは大きく損なわれていた(あるいは、そのような重量感を抑えようとした結果なのだろうか?)。向かって左のスペースに展示されていた、鉄枠に糸を張り巡らしその中に服や子供靴、本といったものを閉じ込めた《トラウマ/日記》(2007年)4点と《日記Ⅰ》(2007年)1点はサイズとしては大きくないが、これを《大陸を越えて》の場所に余裕を持ってイントロダクションとして展示し、奥のコレクション2の展示を止め、その場所を《大陸を越えて》のために使った方がよほどいい見せ方ができたのではないか。それでもスペースが足りないならば、構成としては最後の部屋(コレクション2の隣室にあたる)に展示されている写真や映像作品を移動させればよい。国立国際美術館の展示壁は一部可動式だから、そういった構成も可能だったはずだ。

    ベッドを並べその周囲に黒い毛糸を張り巡らせた、《眠っている間に》(2008年)。一見して空間を埋め尽くさんばかりの毛糸も、よく見れば与えられたスペースを守るように丁寧に張られており、迫力に欠けた。前回の個展「沈黙から」(2007年10年19日〜11月17日、神奈川県民ホールギャラリー)で焼けただれた椅子を黒い毛糸で編み込んだように、たとえば隅に置かれていたスタッフ用の椅子すらも取り込んでしまうような凶暴な浸食性を見たかった。
    わたしが会場で居心地の悪さを感じたのは、その展示が、作品さえ展示されていればよい、とでもいうような消極的な意志に貫かれているように見えたからである。何かを表現したいと望むものなら誰でも持つ、止むに止まれぬ欲求というようなものを、わたしはほとんど感じることができなかった。展覧会は決して広くはないスペースに塩田の代表的な仕事が少なからず会しており、それで十分と思わなくてはならないのかもしれないし、そうは言っても展示の苦労は察するにあまりあるのだが、わたしはそういった印象を受けたのである。

    もしかしたら、規模として大きかった神奈川県民ホールギャラリーでの展示の印象があまりに鮮烈だったためにわたしはそれを引きずっており、国立国際美術館というホワイト・キューブにきれいに収まった塩田の作品に違和感を感じただけなのかもしれない。けれども、展覧会の奥で数点のコレクションがいかにも数合わせというように展示されていたという点(違うというならば、その理由を説明してほしい)、そしてなにより、使われたのがB3Fの企画展フロアではなかったという点で(そこでは国立新美術館から巡回した「モディリアーニ展」が開催されていた)、わたしは今回の展覧会を積極的に評価することはできないのである。

脚注
※1
『国立国際美術館ニュース』第166号(2008年6月、編集・発行 独立行政法人国立美術館 国立国際美術館)に掲載されている塩田千春「準備期間としての三年間」に、2005年、加須屋明子(当時、国立国際美術館・主任研究員)から個展の誘いを受けたことが書かれている。

参照展覧会

展覧会名: 塩田千春:精神の呼吸
会期: 2008年7月1日~2008年9月15日
会場: 国立国際美術館

最終更新 2018年 3月 08日
 

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