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中ザワヒデキ:「芸術特許」書籍刊行記念展
レビュー
執筆: 石井 香絵   
公開日: 2010年 5月 24日

 「特許が芸術であると主張し、その発案取得から売却に至る全経緯を1冊にまとめたアーティストブック(740ページ、10,000円+税)の出版を記念した展示を行います。」(http://www.3331.jp/schedule/000004.htmlより抜粋)


    1996年、美術家中ザワヒデキは3Dソフト「デジタルネンド」を発明し、発売に先駆けて特許取得のための活動を開始した。特許は2001年までに日本と米国で査定登録され[fig. 1]、2005年に証券化、2007年に米国の会社に売却された※1。その発案取得から売却までの全記録が3331 Arts Chiyodaオープンと同時に『芸術特許』として書籍化・刊行され[fig. 2]、出版を記念した展示「『芸術特許』書籍刊行記念展」が開催された。※2

(左)fig. 1 国内特許証 特許第2968209号
(右)fig. 2 中ザワヒデキ『芸術特許』3331 Arts Chiyoda|2010年

    会場に足を踏み入れると、壁一面に貼り巡らされた校正用のプリントにまず目を奪われる[fig.3]。観客としてやってきた子どもたちが自発的に行ったことらしいが、740ページにわたる編集作業がいかに膨大であったかを思い知らされる。入口正面には『芸術特許』の見本が一冊置かれ、傍らに購入予約用のハガキが添えられている。向かって右側には年季の入った旧型のマックパソコン数台が異様な存在感を醸し出し、デジタルネンドが実際に体験できるスペースとして設けられている。中ザワが特許出願に至ったこの3Dソフト、デジタルネンドとはどのような経緯で誕生したのだろうか。そしてこのソフトを特許として申請する行為を芸術と称し、書籍化する真意はどこにあるのだろうか。

    中ザワがデジタルネンドを開発したのは1996年のことだが、発案自体は1991年に遡る。当時中ザワは2Dペイントソフトを使用したイラストレーターとして活動しており、自身の作風を「バカCG」と称していた※3。「バカCG」の由来はパソコンのソフトを使用する際に輪郭線などに生じるギザギザ(ジャギー)にある。一般的に解像度の低い画像に現れるギザギザは嫌われるのが普通だが、中ザワは絵の具のマチエールと同じように、ギザギザを画材の物質感に相当するものとして好んでいた[fig. 4]。またそのギザギザをパソコン上の下手くそさであるとし、バカCG=テクノ版ヘタうまとする持論を展開させていた。
    中ザワがこの時使用していたペイントソフトが、方眼の桝目を塗りつぶして作画するタイプのビットマップと呼ばれる方式であった[fig. 5]。彼は当時、同じ原理に基づく3D ソフト、つまり三次元の方眼からなる、立方体を一単位とするビットマップタイプの3Dソフトも当然存在するものと考えていたが、程なくして現実にそのようなものは存在しないことを知る。2Dソフトにはビットマップ方式の他に、計算式によって定義された曲線によって作画するタイプのベクター方式が存在していたが(代表的なソフトにアドビイラストレーターがある)、3Dソフトはこのベクター方式のものしか存在しなかったのだ。ベクター方式は規則性のある図形等の作成には適しているが、手描き感覚で自由に作画したり粘土のように付け足したり削ったりする作業には向いていない。フリーハンドで自由に作画できるソフトを愛用していた中ザワは、同様の感覚で作画出来る3Dソフトが当然あって然るべきと考え、1995年にソフトの開発に着手、翌年ビットマップ方式の3D ソフト「デジタルネンド」を完成させ、特許出願に踏み出した[fig. 6, 7]。この時彼は、従来の3Dソフトとは全く異なる方式で新しいソフトを発明するという行為が、画材で作品を制作すること以上に芸術だと思い至る。画材の発明それ自体が芸術であると確信した中ザワは、後にこの特許取得を「芸術特許」と命名する。そして自ら芸術を提唱するべくイラストレーターから美術家へと肩書きを変え、作風も大きく転換する一大契機となった※4

(左)fig. 3 「芸術特許」書籍刊行記念展展示会場|2010年
(右)fig. 4 中ザワヒデキ≪KARAOKE≫|1990年|デジタル画像|画像提供:Gallery Cellar

    デジタルネンドの誕生と「芸術特許」の命名にはこのような経緯があるが、本展覧会および本書籍を理解する上で重要なのが、「画材の発明自体が芸術である」という中ザワの主張だ。このことは中ザワがデジタルネンド発明後、そのソフトを使って作品を制作・発表する方向に向かわず、発明の証たる特許取得とそれにまつわる全資料をまとめた書籍『芸術特許』の出版に向かったことと矛盾していない。中ザワの主張に従えば、発明に関する記録の方が、発明後の作品制作よりも余程重要だからだ。特許は発明を証明するが、その発明が芸術上の発明であるという事実は、本人が主張しない限り周知されない。本書は画材の発明を芸術の本質を衝く行為として位置づける、中ザワの芸術特許プロジェクトの集大成である。

    『芸術特許』はA4判740ページの分厚い書籍であり、試みにパラパラめくっただけで読み手に全く迎合していないことは一目で分かる。掲載されているのは膨大な資料に次ぐ資料だ。特に中ザワが弁理士事務所とやりとりした1450枚ものファックスが縮小掲載されている事態には狂気すら感じる。しかし落ち着いて内容を確認すればレクチャーや対談、プレゼンの記録も集録されているから、馴染みやすい箇所を自分なりに見つけて読みながらゆっくり全体を把握する、というのが本書との正しい対峙の仕方ではないかと思う。特に書籍の内容全般を図入りで簡潔に説明している「3331初パワポ」(P125~)の項から読み始めることをおすすめしたい※5

    中ザワが取得した特許は3Dソフトだけでなく、3Dプリンタも存在する。また特許は取得していないが、3Dディスプレイも発案している。プリンタとディスプレイは製品化されておらず、ソフトも新型のパソコンには対応していない。製品の開発・改良は今後の重要な課題であり、他者の協力を大いに期待したいところである。
    しかし、これらを画材の発明であるとし、芸術と定義することこそが美術家の務めであり、本発明における最も根源的な部分であるはずだ。そのようなコンセプチュアルな試みをまとめたのが『芸術特許』であるならば、本書は単なる資料集ではなく、無形の芸術という概念が込められた重厚な一冊といえるだろう。

(左)fig. 5 『芸術特許』647頁より転載
(中)fig. 6 デジタルネンド|1996年|(株)アスク発売
(右)fig. 7 デジタルネンド|1996年|(株)アスク発売



脚注
※1
中ザワが特許を売却した理由は第一に、発明が無意味な内容ではなく、価値あるものという証明を得るためである。その証明の第一段階は特許として国家から査定されることだが、第二段階はその特許が死蔵され維持費のかかる負の財産とならずに、実際に利用もしくは売却され正の財産であると示すことであった。中ザワは自身の発明を実際に利用してくれる会社、もしくは購入してくれる会社を探し続けた結果、2007年にようやく後者に出会い、売却に至った。
※2
ちなみに売却後は、特許された技術を利用して工業製品等を作る権利は購入した会社が所有している。その特許を利用して工業製品等を作りたいのならば、その会社から許可を得る必要があるが、『芸術特許』のように特許についての本を作る際に許可を得る必要はない。
※3
「バカCG」という概念を最初に提唱したのは伊藤ガビンである。伊藤は1990年1月号の『美術手帖』に「国際バカCG連盟発足」という記事を書いており (伊藤ガビン「B-Mix OTAKU」『美術手帖』、美術出版社、1990年1月、16頁)、これに共感した中ザワは後に自身の作風を「バカCG」と称するようになった(詳細は中 ザワヒデキ「バカCGのすすめ」『デザインの現場』、美術出版社、1990年12月、50-53頁に記載されている)。ただし伊藤の定義する「バカCG」 と中ザワのそれとは必ずしも同一ではない。
※4
ここまでの詳細な経緯は拙著『中ザワヒデキの美術』(トムズボックス刊、2008年)を参照。
※5
「3331初パワポ」とは「3331 Arts Chiyoda 開館直前プレゼンショー」(2010年1月30日、3331 Arts Chiyoda、2階体育館、神田)で中ザワが発表者のひとりとしておこなった10分間のプレゼンテーション。この時の様子はYouTube から視聴でき る。(http://www.youtube.com/watch?v=a9-DXiPBScE)

参照展覧会

展覧会名: 「芸術特許」書籍刊行記念展
会期: 2010年3月 14日~2010年4月11日
会場: 3331 Arts Chiyoda

最終更新 2015年 11月 12日
 

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