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山本基:たゆたう庭
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 4月 06日

画像提供:eN arts

塩で迷路を描くこと。これは私自身の記憶をたどる旅のようなものです。
多くの大切な記憶は、時と共に変化し、そして薄れていきます。しかし私は、写真や文章では決して残すことができない記憶の核心を、もう一度感じたいのです。迷路の行き着く先に私が求めているのは、そのようなものかも知れません。しかし、塩の迷路が核心に到達しているかどうかは、全てを描き終わるまで、私自身にもわかりません。なぜなら、それは描く途中で意図しない方向に曲がり、時に途切れてしまうからです。迷路は、私自身の心の動きや体調だけでなく、床のくぼみや湿度にも左右されながらかたち作られているのです。必然と偶然が絡まり合った塩の迷路。私は、作品が完成した後、それを静かにたどることにしています。

【塩】塩化ナトリウムを主成分とする、しおからい味のある白色の結晶。
食用・工業用に使用する。(広辞苑第5版)

このように定義される塩ですが、これ以外にも大切な役割を持ち、時代や地域を越えて人々の生活に深く結び付いてきました。 特に日本では、死の慣習に欠かせない物質です。妹の死後、私がその現実を受け入れるために行ったこと、それは、社会の中で死がどのように扱われているかを、作品を通して体感することでした。お経、脳死や終末期医療などをテーマにし、素材もテーマ毎に関連深いものを取り入れたのです。そして、葬儀に興味を持ったときに私が選んだ素材。それが塩でした。塩を素材として使い始めた当初、私は塩が日本で葬儀に用いられていることや、わずかな透明感を持つその白さに興味を持っていました。 (実際、塩は無色透明な立方体で、光が乱反射することで白く見えます)しかし、今ここで作品の一部となっている塩も、かつては、私たちの命を支えていたかもしれない。そんな思いを抱くようになった頃から、塩には「生命の記憶」が内包されているのではないか、と感じるようになったのです。塩を作品に使い始めて15年が過ぎましたが、私は今も特別な想いを寄せているのです。
-山本 基

塩を作品制作に使用する 山本 基 は、現在(~4月11日まで)東京都現代美術館 MOT アニュアルに於いても展示されている「迷宮」シリーズを発表し続けています。塩を制作に使い始めて15年。固定させるものを全く使用せず展示発表する山本のインスタレーションは、小さなため息によってすら動いてしまう塩の儚さとは裏腹に、言語・文化・歴史的|宗教的背景の異なる様々な環境下で、そのバリアーを越えて鑑賞者を共鳴させるパワーを持ちます。

「たゆたう庭」では 京都 eN arts ならではの新展開を皆様にご披露致します。円山公園の桜や芽吹く樹々を愛で、生命の息吹を感じながら本展をご鑑賞下さい。

※全文提供: eN arts

最終更新 2010年 4月 02日
 

編集部ノート    執筆:平田剛志


散り始めた桜の花びらが地面に降り積もる今日この頃、eN artsの床にも今しか見れない「たゆたう庭」がある。山本基によるその「庭」は、桜ではなく塩の迷路が大地を這うように、延び広がっているのである。その造形は装飾的な模様のようにも、迷路や地図のようにも見え、鑑賞者の様々な記憶や想像を誘発し、沈思黙考へ誘う石庭ならぬ塩庭とも言える空間が形成されている。「庭」以外にも新展開を見せる地下展示室やドローイング、初の写真作品など充実した山本基の現在を見ることができるだろう。

過去の山本の作品を振り返ると、美術館やギャラリーなどのホワイトキューブ空間より、今展の会場である日本家屋を改装したeN artsのような空間の方がその真価はより鮮明に発揮されるように思われる。作品が場に寄り添い、そこに鑑賞者の記憶や季節、時間が刻まれていく。京都は名庭が多くあることで知られるが、本展もその名に値する庭である。


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