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田村博文:STONE
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2009年 10月 25日

画像提供:COMBINE copy right(c) Hirofumi TAMURA

私は石が好きだ。無限の表情をもち、2つと同じものがない。ここ数年来、樹で石(と想えるもの)を創り続けている。それによって何かが変るというものではないが、ただ石を創り続けている。樹で石を創り続ける行為の中で様々な事を思い、考え、やがて無になっても、それでも削り続ける。時には激しく、時にはやさしく、荒々しい水になったり、岩となってぶつかったり。何んの変哲もない石コロを何十、何百と創り続ける毎日、こんな行為を大切にしている。そしてそんな行為が好きだ。樹に精霊が宿るという。その精霊の気元を損なう事なく石になっていただける様に日々想いを念じて制作している。人類は無作為に存在する石を秩序だてて配列したり、積んだりすることで一歩アートの世界に踏み込んだろう。徒、並べるだけで緊張(TENTION)が生じる。この緊張感をつなぐ事でいわば「アートの結界」というものが出現する。≪徒、並べるだけで≫。
遺跡にも似て何か神々しさが出てくるのも不思議である。

今回は無作為に存在する石から作為的に置いたり、並べたり、積んだりしながら無限にある表現の一部を展開していますが、その展開に皆様にも参加して頂いて、時間差による変化を楽しんでいただければと思っています。
(田村博文)

【作家プロフィール】 
1945年 大阪生まれ 1969年 京都市立美術大学工芸科卒(現 芸大漆工専攻) 1969年 インテリアデザイン事務所入社。主に大型商業施設企画・設計、テーマパーク 文化施設企画・設計 インテリア商品開発企画・設計  2002年 退社 工房開設  2007年 第25回 朝日現代クラフト展 優秀賞受賞  2008年 グループ展(京都)  2009年 グループ展(京都)。

※全文提供: COMBINE

最終更新 2009年 12月 03日
 

編集部ノート    執筆:平田剛志


画像提供:COMBINE copy right(c) Hirofumi TAMURA

ギャラリーに展示された大量の石コロたち。掌に乗る小さなものから、岩のような大きな石までさまざまなサイズの「石」が展示されている。だが、「石」と見えたそれらは木肌から樹で作られたことが分かる。そう、展示されている「石」は木材を削って創られた「石」なのである。 そんな「石」が石庭のように並べられた様を眺め、「石」のひとつに触れてみる。すると「石」とは思えない軽さと温かみが感じられる。冬の寒さで冷えた手が暖まるような体温を「石」が持っていること。それは物質が持つ温度なのか、田村が書くところの「樹の精霊」なのか。 ところで、樹を素材に何の変哲もない石ころを創り続ける田村の作品から、橋本平八(1897-1935)による『石に就いて(付 原石)』*1を私は想起した。橋本の作品は実際の石をモデルとして制作され、田村は実物の石を見ずに制作をするというから、両者の制作方法は異なる。だが、「石」の存在感や「石」を樹で制作する姿勢には共通点が感じられなくもない。 人はなぜ、樹で「石」を創るのか。石の引力に考えを引き寄せられる作品である。

注:本展の展示作品は手で触れることができる。
*1: 1928(昭和3)年、木、H28.6cm、三重県立美術館寄託


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