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ベアーテ・ミュラー:コラージュ
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2014年 6月 26日

 

タグチファインアートでは、ベアーテ・ミュラーのコラージュ作品の展示を、上記の期間約4週間にわたり行います。

ベアーテ・ミュラーは1965年ドイツ、ケルン近郊のベルギッシュ・グラッドバッハ生まれ。1984年からアーヘン専門大学で、その後1989年から1994年までデュッセルドルフ美術大学でグラフィックを学び、フランツ・エッゲンシュウィラーからマイスター・シューラーリン資格を取得しました。以来、アーヘンとケルンを拠点にグラフィックデザイナーとして活動してきましたが、現在は写真作品やコラージュ作品の制作へ仕事の比重を移しています。昨年初めての写真集をケーラー社から出版、彼女の仕事が広く認知される契機となりました。

ミュラーの親しい友人であり、日本にも紹介されているマンハイム生まれの画家、カール・ボーマン (Karl Bohrmann 1928-1998) が、彼女のコラージュについて文章を残しています。

ベアーテ・ミュラーはかつて書いている。「私のコラージュは、見つけてきた素材でできている。失敗した写真も、ポスターや質感のある紙のちぎられた一片と同じように素材になり得る。押しつけたり、破いたり、その上にドローイングしたり、ペイントしたりする過程で、私は新しい状況に衝動的に直観的に反応する。偶然は予め意図していたことと同じぐらい重要になりえる。」と。

図像の交換可能性と偶然の影響について、彼女はとても客観的に書いている。どこか他のところで、彼女は自らのイメージの探求を写真とは違う選択肢にも拡げる必要性について描写している:彼女は写真を撮ることによって周囲の空間が失われてしまうことについて述べ、コラージュ技術の可能性を、そうした問題と、プリント写真の平滑な表面を変異させ物質化したいという欲求とに配慮することができる媒体として語っている。この衝動は、彼女のコラージュに見て取ることができる:ゆっくり手探りで進む眼差しに合わせて、素材として使っている写真の端のところで、イメージを変化させたり継続させたりする。

列車や自動車の窓から見られた、健全なあるいは破壊された世界。遠くの山並みやビーチ、野外の風景が室内に映り込んでいる雑誌の写真のなかに突然挿入された抽象的な構造。これらのコラージュは、その制作過程(構造を変える、失敗する、重ねる、層を剥ぎ取る、亀裂を与える)で、繰り返し風景を出現させる。ミクロ世界とマクロ世界との同質性と互換性が見えてくる ー 写真の図像の単純な素材から、混乱させられる滑らかな移行が起きたり、また戻ったりする。

疑いなく、これはとても「ロマン主義的」な世界の見方である:混沌とした風景としての世界の風景、中心的な濃縮物としての役割を担わされた断片と、これと対照的なものとしてのアンフォラ壷、家なみや室内の静かで明快な幾何学。これらすべてが、大きく幅広なスクリーンサイズではなく小さなサイズで、大勢の大衆に向けてでなくむしろ好意的な鑑賞者の眼差しにふさわしいサイズで制作されている。

カードボードはシネラマに変わり、建てたり壊したりできる一種の舞台を模して公開される。風景の出現への類比としてのコラージ技法により、彼女は見ることの断片的な本質、交換可能性、互換性を示す。彼女はコンピューターを使わず簡単でありふれた材料にのみによって、これを例示する。それでも、これらのコラージュはこうした事物を描写しようとする。ある事物を見ることによって引き起こされる感覚のほうが、見られた事物そのものよりも強いのではないだろうか?広さの印象、動きの印象、過ぎ去るものの印象、落下するものの印象、それだけでなく、静寂や透明性の印象といったものも。

だまし絵。芸術の対極としてのだまし絵だろうか?この問いは時と場合によってなされるべきである。彼女は見るということの先端で仕事をしているのであり、物質から虚構へ、虚構から物質へ、の変化と移行に興味を持っている。彼女の仕事は「イメージを獲得したい」という願望を持って生まれたイメージを再現しようという試みである。
ケルン1995

今回の展示は、ベアーテ・ミュラーの初めてのコラージュ作品のみによる個展です。ぜひご高覧下さい。


全文提供:タグチファインアート
会期:2014年6月28日(土)~2014年7月26日(土)
時間:13:00 - 19:00
休日:日・月曜、祝日
会場:タグチファインアート
最終更新 2014年 6月 28日
 

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