新・方法とハイレッド・センターに関する考察-アップローディング・イヴェントを通じて |
Reviews
|
Written by Kae ISHII
|
Published: May 02 2014 |
There are no translations available.
2011年8月27日、「新・方法」の平間貴大、馬場省吾、中ザワヒデキは「アップローディング・イヴェント」を開催した。事前に公開されたイヴェントの告知文は、以下のような内容であった。
1964年10月10日、ハイレッド・センターはドロッピング・イヴェントを行った。 2011年8月27日、「新・方法」はアップローディング・イヴェントを行う。
「新・方法」とは2010年9月4日に結成された3人組のグループ名である。「新・方法主義宣言」という同語反復からなる無内容の宣言文を出したり、機関誌「新・方法」をEメールで毎月配信したり、「これは写真ではない。」と書かれた印画紙を写真展に出品したり、その他様々な活動を行ってきた。「新・方法」という名称は、メンバーの中ザワヒデキが2000年から2004年まで松井茂、足立智美と結成していた(ただし2002年より足立は三輪眞弘とメンバー交代)「方法」というグループ名に由来している。2010年8月に平間貴大の個展に出品された音楽作品を鑑賞した中ザワが、「今なら平間と一緒に新しい方法主義が標榜出来るかもしれない」と思い立ち、平間と、同じく平間の個展に反応した馬場省吾に声をかけたことが新・方法誕生のきっかけである。
中ザワが「方法」を結成していた頃、方法主義者とは「偶然と即興を禁じ、禁欲と戒律を要請する」表現者であると定義されていた1。メンバーは中ザワが美術家、松井が詩人、足立、三輪が音楽家と、主義者として各々の専門分野を担っていた。しかし新・方法ではそうした個別の肩書きは設けず、主義も「新・方法主義は新・方法主義である。」と繰り返されるばかりで、具体的な内容は示されていない2。実際に新・方法がこれまで発表してきた作品や催しのいずれもが、美術や音楽といった特定の芸術の形式に当てはまらない、あるいは当てはめる必要性を感じないものばかりである。
私は新・方法結成時からその活動を多く目にしてきたが、彼らがこれまで発表してきたもののなかで最も興味深い試みだと感じたのが、このアップローディング・イヴェントだった。あえてそうしているのだろうが、新・方法のメンバーは自ら作品解説をすることが無い3。本稿では新・方法の活動のうち、アップローディング・イヴェントという特定のイヴェントを取り上げることによって、言語化されることの少ない彼らの活動について考察を試みることにしたい。
アップローディング・イヴェントとは文字通り、アップロードを目的としたイヴェントである。イヴェントの開催をメールやtwitterで広く告知し、8月27日の0時から23時59分まで、馬場がイヴェントのために作成したウェブサイトに任意のデータをアップロードしてもらう、という、主催者だけでなく誰でも参加出来るタイプの企画だ。内容は至極単純ではあったものの、実際にデータがどんどん集まっていく様子を見たり、自分でも手元にある画像をアップロードしてみたりするのは意外と楽しい体験だった。最終的に全部で1726個のファイルがアップロードされたという。
例によって本イヴェントの意図が新・方法から語られることは無かったが、ひとつだけ明らかなことがある。それは前掲した告知文に見られる通り、アップローディング・イヴェントは1964年にハイレッド・センターが行ったドロッピング・イヴェントを踏まえているということだ。ハイレッド・センターと新・方法は三人組であるということと、特定のジャンルに属さない反芸術的な活動を展開している点で既に共通している。今回新・方法が並置したこの二つのイヴェントを比較することで、より具体的に両グループ及び各時代の類似性や差異について詳察することが出来そうだ。
アップローディング・イヴェントがドロッピング・イヴェントを踏まえていたように、ドロッピング・イヴェントが念頭に置いていたのはドリッピングという描画技法である。ジャクソン・ポロックに代表される、絵の具を水平に置いたキャンバスの上から垂らすこの手法はアクション・ペインティングの一つの技法であり、アクションに新しい価値を与えようとしていたハイレッド・センターにとっては当然ともいえる目のつけどころであった。
御茶ノ水池の坊会館の屋上で、赤瀬川原平、和泉達、風倉匠、高松次郎らは3、地上に向かってカバンや服、シーツを落とした。ドリッピングの絵の具は日用品に、キャンバスは地球の表面に対応している。赤瀬川原平『東京ミキサー計画 ハイレッド・センター直接行動の記録』によると、屋上に集まったメンバーたちは最初に軽くデッサンをするように婦人用の下着を落とし、続いて絵の具を厚塗りするように衣類やカバンを一気に落下させた後、再び軽いタッチのごとくふわりとシーツを宙に放る、といった順序でドロッピングが行われたようだ5。同著には下着が地表に落ちていく様を上から見て月面着陸に例えたり、シーツがふわふわと落下する様子を絵の具の薄塗りに対応させたりして楽しんでいる記述もある。
地面に落ちた物は最終的にメンバーが回収し大型トランクに詰め込み、トランクごと御茶ノ水駅の荷物預かり所に預けられた。そして荷物の受取証は電話帳から選んだ見知らぬ人に送りつけることで、ドロッピング・イヴェントは幕を閉じた。トランクは預かり所に預けたまま行方知れずとなった。ハイレッド・センターにとって行為は作品制作のための一過程ではなくそれ自体が作品であるため、ドロップした「もの」については結果的に紛失しても構わないようだ。それどころか紛失に至るまでのプロセスすらもひと工夫加えて作品の一部に組み込んでしまっている。
トランク同様に、アップローディング・イヴェントでアップロードされたファイル群もイヴェント終了と同時に消失した。現在はアップロード用のウェブページにアクセス出来ない状態となっている。データを残さないやり方には、誰でも何でもアップロード出来る状況であったため後々著作権等の心配をする必要が無いという利点があろう。しかし主な理由はドロッピング・イヴェントに倣おうとしたことと、「もの」ではなくアップロードという行為に注意を向けたかったためではないかと思われる。アップローディング・イヴェント当日の様子は、イヴェントのオブザーバーを担当した室井良輔氏による「アップローディング・イヴェント・ドキュメント」が詳細を伝えているが6、本テキストを通して伝わってくるのは不特定多数の参加者によるアップロードという行為自体への盛り上がりであった。
イヴェントの開始と同時に続々とアップロードされたのは、自作の絵や文章、セルフポートレート、お気に入りの画像、ネットから適当に取ってきた画像や動画、音データ等々玉石混淆の内容。終盤には相撲番組の動画が沢山アップロードされ話題を呼んだという。新・方法のメンバーも各々の作品データや3人でチャットをした際のテキストデータ、デスクトップの画面キャプチャーなど続々とアップロードしていた様子[fig.1]。中ザワはさらに画面キャプチャーしたものに上から絵を描いてアップロードしていたようだ[fig.2]。
個々のファイルを閲覧していくのも面白そうだが、このイヴェントにはもう少し違った次元での楽しみ方がある。それは、画像や映像ではなくデータとして楽しむということだ。イヴェント中のウェブページの画面にはアップロードされたファイル名が連なっており、クリックして中身を確認する仕組みになっている。しかしクリックせずともそれはそれで楽しめるのである。たとえば深夜のアップロードなら、ファイル名に「そろそろねよかな」と書く人がいたり、ファイル名で会話する人たちも現れたりしたという[fig.3]。拡張子もまた気になる要素のひとつだ。オブザーバーの室井氏はイヴェントの途中からファイルの種類の多様さに注目し始めており、「.jpg」「.gif」「.pct」「.txt」「.pdf」「.doc」「.mp3」「.wav」「.wma」「.mov」「.mid」「.ai」「.psd」「.exe」「.html」といった拡張子がそれを可視化させていることを指摘している。平間も同じことを考えていたようで、拡張子辞典を参考に「.a44」「.a68」等普段目にしないような拡張子をつけて盛んにファイルをアップロードしていたようだ[fig.4]。最終的な完成を目指して行為するのではなく、行為そのものに意義を見出すドロッピング・イヴェントとの類似性が窺える出来事である。
そして二つのイヴェントを比較して改めて感じるのは、ドロッピングとアップローディングは似ているということだ。語感としては真逆のように思えるが、どちらも「放り投げる」印象があることに気付かされる。アップロードとは本来他人とデータを共有するための行為であるから、通常は人の目を意識する等して多少の緊張感を伴うことが多い。しかし本イヴェントのように手段が目的化し、前提としてデータの質が求められない場合ならば、どこか公の空間に私物を放り投げている感覚がより明確に認められるのではないだろうか。アップローディング・イヴェント開催の理由は、新・方法のメンバーが元々アップロードという行為に屋上から物を投げるような身体的楽しさを感じていたためであるように思える。
アップローディング・イヴェントとは、ネットで身体性を感じる時代におけるドロッピング・イヴェントだと言える。両者の違いは実物とデータであることと、インターネットによる多数の顔の見えない参加者の存在だ。だが重要なのは、違いよりも共通点の方である。個よりも集団、結果よりも過程、ひとつの大作よりも断片の集積、といった価値観が両グループには共通している。そして個人的に、この価値観は両グループに留まらず、二つの時代の空気として多少なりとも共通しているようにも感じられる。本イヴェントはハイレッド・センターが行なった反芸術的芸術行為が、現代においても見た目ではなく、思想としての踏襲が可能であることを示している。
新・方法は2012年2月18日に中ザワヒデキが脱退し、新メンバーに皆藤将が加入した。メンバー交代の詳細については『全感覚』1号(全感覚派、2012年5月)掲載の「中ザワヒデキインタビュー」を参照されたい。首謀者であった中ザワが抜け、方法主義は若手世代に託され今なお継続中である。今後の活躍に期待したい。
(初出:kalonsJournal第1号、2012年 http://www.kalons.net/oj/)
脚注
1 「方法絵画、方法詩、方法音楽(方法主義宣言)」(http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/01manifesto1_j.html)を参照。 2 「新・方法主義宣言」(http://7x7whitebell.net/new-method/manifesto_j.html)、 「新・方法主義第二宣言」(http://7x7whitebell.net/new-method/manifesto2_j.html) 「新・方法主義第三宣言」(http://7x7whitebell.net/new-method/manifesto3_j.pdf)を参照。 3 ただし毎月配信されるEメール機関誌「新・方法」ではメンバー各人が作品を一点ずつ発表しており、解説を加えている。 4 ハイレッド・センターの発起人は高松次郎、赤瀬川源平、中西夏之の三名だが、構成員の存在は流動的であったようだ。(赤瀬川原平『東京ミキサー計画 ハイレッド・センター直接行動の記録』PARCO出版局、1984年、pp.2-3.参照) 5 前掲3『東京ミキサー計画 ハイレッド・センター直接行動の記録』、pp.157-170.参照。 6 室井良輔「アップローディング・イヴェント・ドキュメント」(http://7x7whitebell.net/new-method/661/index_j.html)
|
Last Updated on October 20 2015 |