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アートホーリーメン《HORYMANと鯱》
Reviews
Written by Kae ISHII   
Published: March 22 2014
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island MEDIUM 展示風景
© art horymen Courtesy of Bambinart Gallery

Bambinart Gallery 展示風景
© art horymen Courtesy of Bambinart Gallery

Bambinart Gallery 展示風景
© art horymen Courtesy of Bambinart Gallery

Bambinart Gallery 展示風景
© art horymen Courtesy of Bambinart Gallery

Bambinart Gallery 展示風景
© art horymen Courtesy of Bambinart Gallery

  《HORYMANと鯱》はアートホーリーメンが長年にわたって描き続けてきた長編作だ。大小さまざまな用紙にコマ割りされ、ふきだしや文字とともに描かれた大量の絵画群は、読み物としてはマンガだが、展示物として観ればドローイング作品でもある。マンガ・インスタレーションと呼ばれ、「ドローイング群をマンガの作法を用いて展示する」と作家が述べるこの作品は、アートホーリーメンが自己の表現とマンガや美術にたいする長年の試行錯誤によって生み出した形態だった。
  主人公HORYMANを中心とするこの物語は2005年から制作が開始された。同年1章にあたる部分をGEISAI#81に出品し、銅賞と長谷川祐子賞を受賞。HORYMANシリーズの発表と同時に、作家名もハラグチツトムからart horymenに変更している(2009年にアートホーリーメンに変更)。以後2章、3.1章、3.2章と制作・発表を続け、2012年に完結編となる3.3章が完成。 Bambinart Galleryおよびnap gallery、
island MEDIUMにて大小約200点にわたる全作品を公開した2。その後も改編を加え、現在本作は川崎市岡本太郎美術館「第17回岡本太郎現代芸術賞」展3の特別賞受賞作として展示されている。

  カラフルな長髪に三つ目の大男HORYMANは不死身の肉体を持つ超人だが、ヒーローのような人気者では決してない。記憶を持たず、自身が何者であるか、どこから来たかを知らないこの男は、苦悩を抱えながら都市を徘徊している。市民は彼を野蛮な浮浪者として忌み嫌っている。不死身であっても怪我はするため、体中に縫い目がありフランケンシュタインの怪物のようだ。タイトルにも冠されている鯱は常にHORYMANに寄り添う存在でありながら、攻撃的な言葉を彼に放ち続ける。一方で人格を持つHORYMANの性器は彼の味方であり、鯱に対抗するように励ましの言葉をかけ続ける。肯定と否定の言葉の渦巻く精神の安定しないHORYMANのもとに、出生の秘密を握る者やマスコミ、敵軍など様々な刺客が複合的に来襲する物語である。一般的には不完全でスタイリッシュとは程遠い印象の主人公だが、作者はこの姿を最初に思いついた時「かっこいい」と感じ、HORYMANにまつわる物語を描きたくなったという。

  HORYMANシリーズを始める以前、アートホーリーメンはハラグチツトムの名でマンガ家を目指していた。しかし物語が仕上げられず、画力も不十分と感じたためその道を断念。24歳の時に作品を全て焼却した。以後は美術書を大量に読み図書館・美術館に通いながら自己の表現を模索する日々が続き、やがてアートの文脈でマンガを概念的に扱う方法にたどり着く。マンガの形式のみに注目したコマ割りや怒りの記号をモチーフとする絵画を制作し、地元の熊本で展示や個展を行った。だがHORYMAN誕生以降は再びストーリーのある表現を復活させている。HORYMANシリーズはそのため「概念としてのマンガ」でありながら、通常のマンガのように読み進められる内容となっている。特異な過程を経て創作されたこのマンガ兼ドローイング作品は、造形と物語の両面にそれぞれ作者独自の価値観が表れているのが特徴だ。

  造形の面で際立っているのは引用・模倣の多用である。アートホーリーメンは自身がマンガ家や浮世絵師から影響を受けている事実を肯定的に捉え、積極的に作品に盛り込んでいる。角ばった文字や鋭い波の描写、分割された空の色など全体的に受ける尖った印象は本人の個性によるものだが、HORYMANの変容シーンでは歌川国芳の妖怪や鶏に似た頭が体内から飛び出す描写が見られるし、暴漢に襲われHORYMANの身体がバラバラになるシーンでは士郎正宗原作・押井守監督アニメ『攻殻機動隊』や月岡芳年の血みどろ絵が参照されている。高層ビルの林立する街並みは大友克洋作『AKIRA』が参考にされ、人物の変異する場面では国芳と大友を組み合わせた描写も登場する。細かく見ていけば更に多くの引用箇所が発見出来そうだ。
  アートホーリーメンにとって、こうしたマンガや浮世絵は粉本(お手本)のような存在なのだと思われる。もちろん過去の代表作を織り込む態度には、マンガを用いてマンガ史に言及するメタ的な意図も含まれているかもしれない。しかし彼の場合、先人の模倣はスケッチに代わる創作の基本的な行為として位置付けることが出来そうだ。展覧会場で、「大友克洋の引用に最近ようやく技術が追いついてきた」と本人が述べていたのは印象的だった。アートホーリーメンの創作の源泉は常にマンガやアニメであり、浮世絵への興味はマンガを愛する視点の延長で得たものと思われる。彼の作業机には『AKIRA』と宮崎駿作『風の谷のナウシカ』全巻が並び、本人曰くこれらは「聖書」だという。アートホーリーメンの長期にわたる創作意欲を支えているのは、大友や宮崎、士郎といった作家を疑いなき才人と見なし、技術と精神の糧とし続ける純粋な思念であるようだ。

  物語の展開に関しては、全体的に複数の場所や時間軸が断片的に続く夢の中のような、シュルレアリスムにも通ずる世界観が特徴的である。そこには日本の近現代史や神話など、いくつかの主題が見出される。しかし核となるのは主人公の名にある通り、作者の描く「聖人」の姿だろう。
  HORYMANの「HORY」は「HOLY」のスペルミスをそのまま採用した名であるため、意味としては「聖者、聖人」である。アートホーリーメンにとっての聖人像は、ぼろ布をまとい荒野を歩く姿に代表される。誰からも理解されず、貧しく孤独な存在だ。さらにHORYMANの場合は荒野だけでなく都市をさまようホームレスとして描かれ、聖人が社会的地位の低い者と同一視されている。舞台を現代都市に置くことで、持たざる者の現実的な側面が浮き彫りとなっているのが特徴だ。
  きれい事に収まらないこの聖人像は、作家名の「アートホーリーメン」からも分かるように作者自身の投影でもある。マンガ家を断念してもなお描くことを求め、どこにも所属せずひたすら描き続けアートとして自作を問い直していく道のりは非世俗的であり孤独である。生活の糧としてきた期間工や肉体労働の経験もまた、社会のはずれに生きる敗残者のような聖人像にリアリティを持たせている。HORYMANの苦悩はそのままアートホーリーメンの苦悩である。そして彼の場合「聖人」という設定は、自身を神聖化しているのではなく、自身のマンガにたいする強い信仰に向けられた言葉であるように思われる。
  アートを志す動機として、アートホーリーメンのそれは特殊である。彼にとってアートはマンガを描き続ける手段を残してくれたセーフティネットのような存在といえるだろう。表現者としては消極的な選択のようにも思えるが、物語が仕上げられないという欠点は結果的にマンガの仕組みそのものへの考察を導き、マンガというジャンルにたいする批判的、歴史的な視点からなる創作活動を実現させた。批判性がありながらも基本的には自身の内面が軸となり、土台には強靭なマンガへの信仰が備わっている。アートホーリーメンの作品はこの先もそのようなものであり続けるだろう。


脚注
注1 GEISAIとは年2回東京ビックサイトで開催される出展無審査のアートの祭典。GEISAI#8は2005年9月11日に開催。
http://www.geisai.net/g14/history/g8/

注2 アートホーリーメン“HORYMANと鯱” 2012年11月3日~11月11日 nap gallery(第1章・第2章)、island MEDIUM(第3.1章・第3.2章)、Bambinart Gallery(第3.3章~完結編~)
http://www.bambinart.jp/exhibitions/20121103_exhibition.html

注3 「第17回岡本太郎現代芸術賞」展 川崎市岡本太郎美術館 2014年2月8日~4月6日
http://www.taromuseum.jp/exhibition/current.html
Last Updated on October 20 2015
 

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