辻直之:風の精 |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2009年 7月 14日 |
辻直之の映像作品は、観賞後にある特別な感覚を残します。それは紙に木炭でカットを描き、撮影し、動かす部分を消し、また同じ紙に描く、という作業を繰り返す手法によって生み出された映像のなかの残像が与えるものなのかもしれません。登場する人物や雲などが動く度に刻まれるその残像は、動いているものと同格の、あるいはそれ以上の存在感をもっているように思えます。それはもしかすると、描かれるものが自由に動き変身するのとは対照的に、痕跡、過去や記憶というものは消し去ることができないということを、私たちに思い出させるからなのかもしれません。 『雲を見ていたら』(2005)では、退屈な授業中に雲を眺め、ノートにその姿を描いていた少年を雲が見つめ返し、ノートの雲がもくもくと立ち上がって彼の体に入ります。そして彼や他の生徒たちも次々に雲になっていきます。『エンゼル』(08)では、カードゲームをしている不思議な生き物たちがめくった赤ちゃんのカードが、穴をつたって妊娠を望んでいるカップルの女性の子宮に届けられます。これらの幻想的なストーリーに響きわたる高梨麻紀子による美しい音楽が、まるで神話やフォークロアのような純度の高さを際立たせます。辻の作品は、人間の不完全さや脆さと同時に、何か崇高なものの存在を感じさせます。 【この展覧会について】 【作家プロフィール】 ※全文提供: 小山登美夫ギャラリー |
最終更新 2009年 7月 31日 |
2008年に東京国立近代美術館と京都国立近代美術館で開催された「現代美術への視点6 エモーショナル・ドローイング」展で辻を知った人は多いのではないか。私もその一人だが、今回の個展では旧作4点に加え、新作≪風の精≫(2009年)を発表している。 辻のアニメーションは、カットを木炭で描き、撮影したのち、動かす部分を消し、また同じ紙に描く、というプロセスを経て制作される。したがってアニメーションは、登場するキャラクターが動けば動くほど木炭の跡が否応なく残り続け、むしろその効果を狙ったものになっている。そうして一つの形が変化し続ける辻のアニメーションは、まるで私たちの日常で空の雲がなにか違うもののかたちに見えることと地続きだ。今回の「風」や旧作では「雲」など、形の定まっていないもののメタモルフォーゼはその手法に合致している。