谷川千佳:わたしは夢のかけら |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2010年 8月 15日 |
谷川が描く人物像を、彼女は「自画像」として自ら定義づけています。「自画像」はバロック期にかけて美術の1ジャ ンルとして確立し、現在も多くの作家がモチーフの対象としています。「自画像」に表現される一般的な主題には、自ら の容姿を伝えるものから、自らの威厳を付加させるもの、更には自らの精神性ともいえる内面を映し出すものへとさまざ まな変遷をたどっています。彼女が常々描いている「自画像」に込められた主題は「空虚な自我」です。その「自画像」 は自らの容姿を表面的に描き写すのみの手法であり、その中に自我を形成するような要素は存在していないと彼女は言い ます。つまり、自らの存在自体が不確かなものであるという前提の下、人間の存在の意味・定義を探し求めることを主題 に、彼女は「自画像」を描き続けています。 こうした手法で谷川が「自画像」を描く要因には、近年の日本の現代社会の動向が大きく反映されています。現在20代 になる若者たちは、子供の頃からデジタル社会の恩恵を受けて、膨大な情報に左右されながら育ってきました。インター ネット、アニメやゲームを中心とした仮想現実の世界に慣れ親しみ、情報としての世界中の様々な出来事などを、自らの 体験の内に容易に引き込んでいくことが当たり前のようになされてきました。しかしながら情報量だけが肥大して、それ らの取捨選択や分類が追いつかない現状が発生し、一つの指針・答えが見い出すことが困難になり、新たな価値観が明確 に提示できない混沌とした現代がここに横たわっています。 そんな現実と空想の境界線さえも明確にできない状況の下、谷川が自我を見いだすために頼る第一の体験とは、睡眠時 に見る「夢」です。彼女の「自画像」で表現する世界は、自らが見た「夢」の出来事を忠実に描き取ったものです。彼女 にとって「夢」とは、実際に本人が目の当たりにした実体験の断片と捉えています。現実と空想が区別無く入り乱れた社 会との接触の中で、彼女の深層心理に深く刻まれたものとする「夢」は、彼女が両者を区別する重要なフィルターとなっ ているのです。更に「故郷」という概念も彼女にとっては自我を見つける重要な要素です。自らの起源と認識しうる母体 や出身地といった記号的な要素を見い出すことで自我の方向性を発見し、一つの筋道を立てる。この繰り返しによって、 彼女は「空虚な自我」を埋めていく作業を、彼女が描く「自画像」の中で絶えずおこなっているのです。 当展は、現実と空想の狭間で自我を探し求める谷川の「自画像」を、新作を中心としたキャンバス作品にてご紹介いた します。また外壁にて谷川による公開制作も会期中に開催いたします。彼女の「夢」の断片から生まれたモチーフたちが 、彼女の筆を通じて私たちの眼前に現れる瞬間を共に体験していただきながら、深層心理の中の現実を感じていただけれ ばと思います。 谷川 千佳(Chika Tanikawa) 〈主な個展〉 〈主なグループ展〉 ※全文提供: YOD Gallery 会期: 2010年9月18日(土)-2010年10月16日(土) |
最終更新 2010年 9月 18日 |
2009年、サントリーミュージアム[天保山]にて開催された「アートストリーム2009」においてYOD Gallery賞を受賞した谷川千佳の初個展。
谷川が描くのは、「自画像」だ。美術史を振り返るまでもなく「自画像」の歴史は長い。だが、現代絵画における「自画像」となると、それほど目立った作品は出てきていないように思われる。
谷川の「自画像」は、これまでの美術史上の自画像で見られる重厚さやリアリズムがあるわけではない。身体から臓器が出ていたり、月夜や荒野を背景に描かれるなど、現実感がない。最新作となる『自画像』(2010)では、自身の2つの顔が画面中央で鏡面のように溶け合うさまが描かれている。しかし、2つの顔を描きつつ、手は1つに組み合わさり、「私」という自我を保とうとしているかのようだ。マンガやアニメの影響も見える谷川の自画像は、現代における自画像の一端を示しているのではないだろうか。
谷川が初個展を「自画像」をテーマとして掲げたことは、今後の制作、発表を考えたときベースとなる展覧会となるだろう。自画像の出発から、今後どのような自画像=世界を展開していくのか注目される。