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田部光子 展
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2009年 12月 16日

≪林檎物語≫2009年|シルクスクリーン・コラージュ・アッサンブラージュ・ドローイング・金箔|720×600×65m|画像提供:ギャラリー58 copy right(c) Mitsuko TABE

田部光子は1933年台湾生まれ。戦後福岡に引き揚げ、1951年頃より独学で絵画を始めます。1957年、菊畑茂久馬らと前衛芸術グループ「九州派」を立ち上げ、主要メンバーとして活躍。1974年より10年間にわたって九州女流画家展主催、福岡市美術連盟初代理事長就任、福岡市文化賞受賞など地元福岡の現代美術を牽引し、半世紀以上にわたり福岡を拠点に国内外で活動しています。グラミー賞受賞ジャズキーボード奏者、ボブ・ジェームスと2002年に出会い、絵画の共同制作を始め、これまでにコラボレーション展も開催しています。 田部は1963年より47年間にわたって「林檎」をテーマに作品を創り続けています。「何故林檎なのか?」と必ず受ける質問に、47年前に制作した5点組の林檎の作品につけた題名「たった一つの実在を求めて」、このひと言に全てが集約されている、と語っています。 前回2008年の個展では、“セザンヌの林檎を解明する”というテーマでセザンヌ作品の模写に、ウイットに富んだパロディを組み込んだ絵画シリーズを発表しました。今回の新作展では、「林檎物語」というタイトルで、シルクスクリーンにコラージュ、アッサンブラージュなどの技法を組み合わせた作品約15点を展示いたします。画面の中には、いくつもの言葉がちりばめられています。「The play of sunlight through the trees」(木漏れ日のちらつき)、「GRAVITY」(重力…万有引力)など、りんご林をイメージさせるものや、「NO RETURN」(環境問題)、「IMAGINE PEACE」などメッセージ的なもの、「この幸福は絶望なのです」(カフカ)、重力の数式、等 いくつもの思想や哲学が垣間見えてきます。

作家コメント
「たった一つの実在を求めて」
1963年、今から47年も前、初めて林檎をテーマにした作品を作った。
その題名が“たった一つの実在を求めて”だった。
当時サルトルの実存主義が流行し、わたしもサルトル全集を読破した。
『嘔吐』のロカンタン的力強い敗者の孤独な生き方に共感する。
わたしも失うものは何もない、初めから敗者の美学を生きるつもりでいた。今も。
実在、実存とは何か?
たった一つの林檎は、わたしではないのか。
わたしの実在、実存とは?
とにかく、フーコーの「人生が芸術ではないのか」という問いを解くために絵を作り続ける人生にしがみついて生きてゆくしかない。

プロフィール
1933年 台湾生まれ
1953-70年 前衛美術家集団「九州派」の主要メンバーとして活動 主な個展:
1991-95年 牧神画廊(東京)
1994年-97年 キャストアイアンギャラリー(NY)
1994・96・07年 早良美術館(福岡)
1997-2005年 ギャラリーとわーる(福岡)
1998・01・02年 ギャラリーOKUDAインターナショナル(ワシントンDC)
1999年 アディロンダック・コミュニティーカレッジ(NY)
2000年 黒川INN美術館オープニング(福岡)
2003・04・05・08年 ギャラリー58(東京)
2005年 JMギャラリー(NY)
2009年 「田部光子展 りんごの秘密」 TOKOPOLA(福岡)、「美術家・田部光子の世界」足立山麓ギャラリー(福岡)、TOKOPOLAアネックス開廊記念展(福岡)、「疾走する美術家・田部光子の世界展」ワイアートギャラリー(大阪) 受賞その他:
1960年 第3回日本洋画秀作展金賞、1974-84年 九州女流画家展主催、1981・83・90年 世界メールアート展、2000年 福岡市文化賞受賞 主な著書: 『着信人払い地球郵便局』(葦書房)/『受胎芸術』(花書院)/『二千年の林檎』(西日本新聞社) ※全文提供: ギャラリー58

最終更新 2010年 1月 08日
 

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