| EN |

小野木学:ナヤミノタネ
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2009年 11月 01日

≪ナヤミノタネ ≫画像提供:練馬区立美術館 copy right(c) Gaku ONOGI

画家、小野木学(おのぎがく)(1924-76)の回顧展。 小野木学は1924年東京に生まれ、1955年から1976年に逝去するまでの21年間、練馬区にアトリエを構えました。その縁もあり、練馬区立美術館には多くの小野木作品が収蔵されています。

小野木は、1940年代後半頃から画家を志し、独学にて絵画を学びはじめます。1950年代に入ると、第17回自由美術展や第9回日本アンデパンダン展に出品、これらの展覧会を中心に作品を発表します。そして、シェル美術賞展において2度の受賞、1960年には安井賞の候補となります。1961年に渡仏し、翌年7月に帰国しますが、帰国後、作風がシャープな印象の青い抽象画のシリーズ「風景」へと移行します。1975年に体調不良のため入院し、退院後の自宅療養中に制作した膨大な点数のパステル画・水彩画が残されています。

本展では、小野木の甥にあたる美術家、上矢津(かみやしん)氏によるエッセイ集『ナヤミノタネ ガク叔父さんへのレクイエム』(講談社)に基づいて、病床で制作されたパステル画・水彩画約70点を抜粋。一連の抽象画シリーズ「風景」や版画などと合わせ、小野木の画業を見つめ直します。青い抽象画とは全く異なるイメージから、小野木のもう一つの作品世界を感じ取って頂ければ幸いです。

※全文提供: 練馬区立美術館

最終更新 2009年 9月 05日
 

編集部ノート    執筆:桝田倫広


≪ナヤミノタネ ≫画像提供:練馬区立美術館 copy right(c) Gaku ONOGI

小野木学は晩年、己の死期を悟りながらパステルと水彩で絵を描き続けた。深遠さや堅牢さを湛えた抽象画で有名な彼の画風とは大きく異なった、ユーモアと皮肉さに満ちた愉快なモチーフが、紙の上に描かれた。この明るい画風は何によるのか。死期が迫っているにもかかわらず。いや、それ故になのだろうか。いずれにせよ、展覧会の第一室に彼の最晩年のパステル画を据えたことで、第二室に展示された彼の本業である深遠なしかし一見分かりにくいかもしれない抽象画にも親しみを覚える構成となっている。 ちなみに常設展も夭逝の画家太田昇の遺作展が行われている。芸術の秋、遥か異郷の宮廷画家が描く鮮やかな王侯貴族の生活や、庶民には馴染みない御物を仰ぎ見るよりも、身近な故人を偲んではいかがだろうか。どうにも日本人は、いや失礼。私は夭逝に弱い。

小野木学は晩年、己の死期を悟りながらパステルと水彩で絵を描き続けた。深遠さや堅牢さを湛えた抽象画で有名な彼の画風とは大きく異なった、ユーモアと皮肉さに満ちた愉快なモチーフが、紙の上に描かれた。この明るい画風は何によるのか。死期が迫っているにもかかわらず。いや、それ故になのだろうか。いずれにせよ、展覧会の第一室に彼の最晩年のパステル画を据えたことで、第二室に展示された彼の本業である深遠な、しかし一見分かりにくいかもしれない抽象画にも親しみを覚える構成となっている。 ちなみに常設展も夭逝の画家太田昇の遺作展が行われている。芸術の秋、遥か異郷の宮廷画家が描く鮮やかな王侯貴族の生活や、庶民には馴染みない御物を仰ぎ見るよりも、隣の故人を偲んではいかがだろうか。どうにも日本人は。いや失礼、私は夭逝に弱い。


関連情報


| EN |