没後50年“日本のルソー” 横井弘三の世界展 |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2015年 12月 15日 |
長野県飯田市に生まれた横井弘三(1889~1965)は、1892年(明治22)に上京し、独学で絵画を学びました。1915年(大正4)の第二回二科展に初出品し、期待の新人画家に贈られる第一回樗牛賞を受賞。翌年には東郷青児や石井鶴三らとともに二科賞を受賞するなど、はやくから作品が認められます。洋画家有島生馬から「極上々機嫌」と評された人となりからうまれる横井の作品は、人を微笑ませるのびやかなものであり、“日本のアンリ・ルソー”とも呼ばれ、高い評価を受けました。 1923年(大正12)9月に関東大震災がおこると、震災で傷ついた子どもたちの心を元気づけようと思い立った横井は、自作絵画の寄贈をはじめます。200校以上に及んだ寄贈事業「復興児童に贈る絵」を通じ、横井は売る絵ではなく与える絵を理想とする独自の美術観を形作っていきました。しかし、この「復興児童に贈る絵」は、二科展で出品見合わしを言い渡されてしまいます。記念碑ともいえる作品が拒絶されたことから展覧会鑑査に疑問を覚えた横井は、二科会を離れ、「理想展」と呼ぶ無鑑査、自由出品のアンデパンダン展を自ら組織するなど既成の画壇に抗する活発な活動を展開しました。 理想を追い求めた横井は、絵を売ることを生業とはせず、古本屋や露店業を営みながら絵を描き続けました。中央画壇から離れた横井の名は、次第に世間に忘れられてしまい、彼の画業は必ずしも恵まれものではありませんでした。しかし、戦争を機に長野市に移住した晩年の約20年間は、地元の支援者に恵まれ、精力的に制作活動を展開しました。今もなお彼の作品は寄留した寺や知人宅、小学校等に多く残され、愛され続けています。 没後まもなくの1970年代には、評伝を書いた劇作家飯沢匡をはじめ、堀内誠一らイラストレーターや絵本作家から横井の作品は再評価を受けましたが、以後また長い間忘れられていました。多くの作品が愛好家による個人所蔵であるためまとまってみる機会のない横井作品。本展では、没後50年を機に、東京や長野をはじめ、静岡、広島など各地で所蔵される作品を一堂に会し、いまだ明らかでない横井の画業の全貌に迫ります。 http://www.neribun.or.jp/museum/ 全文提供:練馬区立美術館 会期:2016年4月17日(日) 〜 2016年6月5日(日) |
最終更新 2016年 4月 17日 |