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村田朋泰:2
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 8月 31日

画像提供:ギャラリーモモ copy right(c) Tomoyasu MURATA

村田朋泰は1974 年東京都生まれ、2000 年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業制作「睡蓮の人」が、2002 年第5 回文化庁メディア芸術祭にてアニメーション部門最優秀賞を受賞、その後2006 年の目黒区美術館及び2008 年平塚市美術館での個展まで、その間には大学院卒業制作作品「朱の路」が第9 回広島国際アニメーションフェスティバルで優秀賞を受賞、さらにMr.Children のPV により一躍知られるところとなり、幅広い層から支持されるアニメーション作家として、疾風怒涛のごとく走り抜けて来ました。 目黒区美術館ではパペットアニメをアートの水準に引き上げ、平塚市美術館ではインスタレーションと映像による総合芸術として、小さなこどもから相当の高齢者の方々まで、多くの方の琴線に触れ、リピーターの多さでも異例の展示となりました。 今年のGEISAI #12 では、全く内容の異なる2つのブースを設営、1ヶ所は今までと同様ジュークボックスなどを配し、もう1ヶ所は名前を変えて新たな映像作品に挑戦し、村田朋泰の展示と気付かなかった方もたくさんいました。作品は、ご自身の双子の兄弟の心臓手術をテーマにした、シリアスな映像とインスタレーション、まるで作家自身のパラレルワールドを提示するかのような、新境地を示す作品となり、同じ村田作品とは気付かずに、多くの方から高い評価をいただきました。 今展ではそうした新たな展開をさらに進化させ、両国のスペースをフルに活用したインスタレーションを構築し、新作映像と共に展示する予定です。

「人間とは自分を超えたものの存在や、自分と異なるものの存在を『肯定』している。『異なるもの』は、物語るより仕方がない。物語でしか表現できない。だから、どこの国もみな物語を持っている。」(河合隼雄著「ケルト巡り」)僕が学生のときから創作している「ミニチュア世界と物語」との関わりは「ある限定された世界の中で、僕をみつめる」という個人的な思いから始まった。物語を考え、関節の入った人形を制作し、その物語に沿ったミニチュアセットを制作し、1 秒撮影するために15 回人形を動かし、アニメーション化するという行為を11 年続けている。そのような行為自体なにを意味しているのか、最近少しずつわかりはじめてきた。構想を考えるとき、時間との関係をどうしても気にしてしまうのは、昔から物語に対して強い関心があったのは当然なのだが、時間(環境および空間を有している)というものが僕を癒し、正常化し、またもとの場所に立ち帰らせ、創作に向かわせるというサイクルは、僕という存在の成り立ちをより明確にしていき、さらにそれを飛び越えたとき、僕は時間と同化し、僕を越えた存在に出会う。それを説明することは難しいが、それを感じることができる。人間が自然を克服するような考え方とは逆に、自然と人間がより密着した関係であることを思い起こすための行為として「物語を空間に置き換えて」いきたいと思う。

村田朋泰 1974 東京都生まれ
2000 東京芸術大学美術学部デザイン科卒業
2002 東京芸術大学大学院デザイン科専攻伝達造形修了
有限会社TOMOYASU MURATA COMPANY. 設立

[ 受 賞]
2000 東京芸術大学美術学部デザイン科卒業制作/ デザイン賞《睡蓮の人》、BBCC ネットアート&映像フェスタ2000/ 映像部門 入選 《睡蓮の人》
2001 第2 回ラピュタアニメーションフェスティバル2000/ 観客・ヒューマン賞《睡蓮の人》
2002 第5回文化庁メディア芸術祭/ アニメーション部門優秀賞《睡蓮の人》、森アートミュージアム企画 Young Video Artists Initiative/ 佳作《朱の路》、PFF アワード2002/ 審査員特別賞《睡蓮の人》、第9回広島国際アニメーションフェティバル/ 優秀賞《朱の路》
2003 第2回国際アニメーションフェスティバル アニフェス2003 トレボン/ 入選《朱の路》、アヌシー2003 国際アニメーションフェスティバル 推薦作品上映《朱の路》
2004 RESFEST 2004 正式出品《とおりゃんせ》
2005 年 Nippon Connection 正式出品《朱の路》《白の路》、仙台短編映画祭ショートピース!正式出品《TOKYO》

全文提供: ギャラリーモモ

最終更新 2009年 9月 19日
 

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