2010年に京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科を修了した加納俊輔(かのう・しゅんすけ 大阪・1983~)は、おもに身近な風景をとらえた写真の一部に手を加えることで、「現実:非現実」や「リアル:フィクション」の境界線を消失させ、そこに現実のすぐ側にあるかのような「パラレルワールド」を出現させます。
たとえば新作となる作品《WARP TUNNEL_01》。何気ない街角の風景には、まるで「異世界への入り口」がポッカリと開いたかのような、もうひとつの光景を見ることが出来ます。また、その他の作品には、マンガの一コマにある構図を、写真の中に見ることができ、そこに現実と非現実が綯い交ぜとなった状態(世界)をつくり出しています。
加納は、写真が持つリアリティはそのままに、そこから「被写体の意味」や「撮影者のドキュメント」といった大きな要素を可能な限りそぎ落とすことで、「写真」を「写真そのもの」として、様々な要素や意味が混沌として混じりあう状態を提示しています。
鑑賞者である私たちは、作品を前にそれまでの写真の見方や文法を見失い、一瞬の戸惑いを覚えるかもしれません。しかし、その後に目の前の異世界と現実の境界線は消失し、どちらもが綯い交ぜとなっていく感覚を楽しんでいただけるのではないでしょうか。
本展は新作を中心に、写真作品と立体物との組み合わせによる展示など、ギャラリー・パルクの空間を活かした構成により展開します。
加納 俊輔
【コンセプト】 互いにはっきりと声を発し、しかも、それをちゃんと聞き取れているのに、なぜかまったく会話が成立しない状態。 交わす音の輪郭もはっきりしていて、その音が「何であるか」もわかるのに、しかし、なぜかまったく「意味」が分からないというような状態がつくれたらすごいなって思います。 この状態って、かなり不安になると思いますが、何かまったく別の解釈に繋がる可能性を感じます。 それは、すごく複雑で抽象的な状態ですが、たぶん、ただ単純に無茶苦茶っていうわけではないと思います。
【ステイトメント】 写真はいつも、必ず「被写体の意味」や「撮影者のドキュメント」などの意味に回収される「何かの写真」です。 しかし、ぼくは写真を「写真として扱う」ことで、そこに「被写体の意味」や「撮影者のドキュメント」に回収されない部分が、少し見えてくるのではないかと考えています。 「写真」それ自体であり、「撮影者のドキュメント」でもあり、「被写体の意味」からも逃れることはできないのですが、これらが綯い交ぜとなることで「一つの意味」に回収されることのない複雑な状態に惹かれます。 今は幾何学形体を強調すること、立体を横に置くこと、展示構成などの様々な方法で「写真を写真として扱う」ということを考えたいと思っています。
【作家略歴】 2008 - 京都嵯峨芸術大学芸術学部造形学科 卒業 2010 - 京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科 修了
[展覧会] 2009 - サークルチェンジ(gallery Den / 大阪) 2008 - one room`08(京都嵯峨芸術大学クラブ棟 / 京都) - Thinking Print vol,2 -もう1つの写真表現(京都芸術センター) - Curator`s Eye 2008 "KANO works"(Gallery Maronie / 京都) - one room 3 "ライフサークル"(元立誠小学校 / 京都) 2007 - one room(京都嵯峨芸術大学クラブ棟 / 京都) - Uchu(gallery Den 58 / 大阪) 2006 - hangable(FUKUGAN GALLERY / 大阪)
[メディア] 「Young PhotoGraphers File 2008_01」、PhotoGRAPHICA、2008年夏号、vol.11 『「日常」と「無意味」の罠』、清水穣、美術手帖、2009年3月号、vol.61 no.919、p88
※全文提供: Gallery PARC
会期: 2011年6月21日(火)-2011年7月3日(日) 会場: Gallery PARC
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