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芝本繭子:parts
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2011年 3月 10日

画像提供:Gallery PARC
Copyright © Mayuko Shibamoto

現在、京都市立芸術大学 大学院絵画研究科油画専攻に在籍する芝本繭子(1986~)は、その絵画制作において興味深いプロセスを提示しています。

「私が表現しているのは、曖昧性です」と語る芝本は、描くサイズや完成形を設定しないままに「ドローイングのようなもの」をつくり、それらをパーツとして展示壁面(あるいは空間)に変形・構築・解体を繰り返しながら配置し、そこに出現した必然と偶然の産物を作品として提示します。

この「ドローイングのようなもの」とは、自らのドローイングの定義を「直感的に自己の内面を表現する媒体、または完成作品の習作」とした上で、「前者を含むが後者ではありません。習作ではなく、それ自体が作品の一部となります。そして、それは完成作品でもあり、未完成作品でもあります。」と位置づけているものです。

透過性のある模造紙や和紙に、パステルや鉛筆の線によって描かれた不確かな身体のイメージ。時に糸や毛糸が縫い付けられたそれらは、展示空間の中で繋げられ・離され、また重なりあうように配されながら、そこに曖昧で茫漠とした関係性を出現させます。展示に際して芝本は、それぞれのパーツや展示壁面・空間に時間をかけて向き合いながら、その配置を決めていきます。それは、「曖昧さ」の中から明確な何かをすくいあげる作業ではなく、そこに浮かび上がる一瞬の関係性のみを留めようとする作業のようです。

鑑賞者はそれぞれのパーツや線を目で追うことで、いつしか全体を知覚し、そこに様々な関係性を見つけることが出来るのではないでしょうか。

アーティスト・ステイトメント
「作品について」
私が表現しているのは、曖昧性です。
現在24歳の私は、10代から20代への移行の中でオトナになるという事をより世界が複雑になるということだと思っています。
視野が広がる事で物事を様々な視点から見る事ができ、答えが複数ある事を知りました。
またその答えは、時間とともに変化し、常に不確かな要素を含んでいます。
そのような不確かで流動的で曖昧な心の動きその一瞬一瞬を留めるように制作しています。
画面に登場する身体の一部は、外的刺激を感知するシンボルであり、私たち人間は有しているが、小宇宙のように把握できないものです。
その小宇宙の中には美、エロス、儚さやおぞましさなどのたくさんの相反する事象が転がっています。
それらのものは、不可解であり不確かな永々に広がる感覚だけの世界です。
私は、そこに浮いて漂っているような気持ちで、作品を作っています。

「制作の過程」
画面のサイズを決めずにdrawingのようなものを作り、それらをパーツ化し、別の同一平面上で変形、構築、解体を繰り返し、そこから生まれる必然と偶然の産物を作品にしています。
私のdrawingの定義は、直感的に自己の内面を表現する媒体、または完成作品の習作です。drawingのようなものは、前者を含むが後者ではありません。習作ではなく、それ自体が作品の一部となります。そして、それは完成作品でもあり、未完成作品でもあります。

「素材」
模造紙や薄い和紙に糸を縫い付けたり、パステルや鉛筆と言った線画材を用いて制作しています。もろい紙に糸を縫い付けることで、観る者に素材のはかなさのイメージを与え、また糸は、思いもよらぬ動きをし、その空間の空気の流れに影響します。

芝本繭子 Mayuko Shibamoto
2006 - 京都市立芸術大学美術学部美術科 入学
現在- 同大学大学院絵画研究科油画専攻 在籍
2010 - 京都市立芸術大学制作展 学内展 (京都市立芸術大学/京都)
2008 - 「三人展─芝本繭子、田淵麻那、中山明日香─」( ギャラリースカボロ/京都)

※全文提供: Gallery PARC


会期: 2010年4月15日(金)-2011年4月24日(日)
会場: Gallery PARC

最終更新 2011年 4月 15日
 

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