美術家・水谷一企画による展覧会。企画者の水谷一(b.1976)は、人間を自然物の一つと捉えながら、人(芸術)と世界の原初的な風景を“雨上がりの満月の夜のように”と形容し、希求して来たアーティストです。
また、千葉県柏市にあるisland ATRIUM は、天井の高い吹抜け空間や防音室を持つ、二階建ての広い、希有な構造のギャラリーであり、《表現を人々に届けたい》という強い思いに満ち満ちたisland JAPANが2010 年1 月、活動 をスタートさせた場所でもあります。
本展に参加するのは、泉太郎・遠藤一郎・遠藤利克・水谷一。それぞれにビデオや自らの身体、さらには水や火など、その時々の表現に応じて様々な媒体を使いわけ、無二の地平で表現活動を続けるアーティストです。4人はまったく異なった世界の住人でありながら、共にその作品の強靭な自律性により、既存の“場”との安直なコミュニケーションを拒み、拒む事であらためて“世界ともう一度出会う機会”を私達にもたらすかに思われます。
さて・・会場を後にしたあなたの目にこの世界の景色はどう映るでしょうか。どうかご期待下さい
泉太郎 Taro Izumi [1976 年生まれ] ビデオ映像を取り込んだインスタレーションを主に制作するアーティスト。ルールを作り、それを遂行する。そこでは目による管理はほぼ完璧に回避されているように思われる。ただ、ルールを作り、それを遂行する。作中に本人が登場する事も少なくないが、鑑賞者はそのただ、ルールを作り、それを遂行するアーティストの心境、というか、頭の中身を追体験する。映像作品《クックローチ》を見たのはいつだったかと経歴を見返した。「Field of Dreams」(小山登美夫ギャラリー)、六年前だ(2004 年)。ファーストフード店に入り、持参したハンバーガーの材料と調理器具でハンバーガーを作り、食べる。同じ時、描き貯めているという膨大なドローイングノートを見せてもらった。1 日30 枚(ノート1 冊分)、そう決めないと続けられないらしい事を聞いた。よくわかる。 個展に「こねる」(2010・神奈川県民ホール)、「捜査とあいびき」(2010・hiromiyoshii/東京)ほか多数、グループ展に「MOT コレクション展“入口はこちら—何が見える?”」(2010・東京都現代美術館)、「ヴィデオを待ちながら 映像、60 年代から今日へ」(2009・東京国立近代美術館)、「CREAM ヨコハマ国際映像祭“動物園にエイゾウがやってきた!!”」(2009・CREAM ヨコハマ国際映像祭サテライト会場 横浜市立野毛山動物園)など。著作に『美術妙論家/池田シゲル』、『せのび~ひとりだち』、『1P』。いずれも2009 年刊行。
遠藤一郎 Ichiro Endo [1979 年生まれ] 未来美術家。大きく“未来へ”と描かれた車、《未来へ号》で車上生活をしながら全国行脚し、各地で作品展示、パフォーマンス、ワークショップなどを行なうアーティスト。活動はミュージシャン、DJ、デザイナー(多摩川カジュアル)、絵画、映像など 多岐にわたる。“希望”“未来へ”“家族”、、、画中に描かれた、そのあまりに明け透けな「言葉の信号」に瞬時、頬と腹筋をクッと強ばらせつつも、無意識に足は止まり、じっと見つめてしまう。これは「書かれた」ではなく、「描かれた」と称した方が適切なのかなと思って前文を書いてみて、どちらでもいい事に気付く。絵の具でなぞられた言葉の形は、なんだか私の“希望”とも“未来へ”とも“家族”ともちょっと違っていて、いや、眺めているうちにどんどん違っていって、言葉はバターみたいに溶けて、絵でも言葉でもなくなって、私の素通りを許さない。「世界を良くしてやろう」というふうな事を言っていたのをどこかのインタビューで読んだ。普通の事を普通にやろうという姿勢は信用に足る。 参加展覧会に「別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温 泉世界」(わくわく混浴アパートメント/大分)、「TWISTand SHOUT Contemporary Art from Japan」(2009・BACC/タイ)など多数。「Beuys in Japan:ボイスがいた8 日間」展(2009-2010・水戸芸術館/茨城)にて「愛と平和と未来のために —ほふく前進一日8 時間、46 日間」のプロジェクト敢行。2009 年より凧あげプロジェクト『未来龍大空凧』開始。2008 年12 月より『美術手帖』紙上にて「愛と平和と未来のために」連載開始。2010 年、千葉県柏市にてオープンスペースisland の発足に携わる。
遠藤利克 Toshikatsu Endo [1950 年生まれ] 火や水、木といった素材、或いはカヌーや壷や棺などの道具の形態、円環等の幾何形態を用いた彫刻を展開するアーティスト。1970 年代より国内外で数多くの作品を展開する、戦後の日本美術を代表する彫刻家の一人。見る機会も多かった炭化された多くの木彫作品を思い浮かべながら、“火”を素材と言ってよいものかと、ふと思った刹那、未見だが、“火”そのものが煌煌と噴き出し続ける作品図版を思い出した。著書『EPITAPH』(五柳書院・1992 年刊行)をめくると、それは1990年制作の《水蝕VI》だとわかった。この作品は未見だが、鑑賞経験のある作品のほとんどに、どういうわけか、確かに“火”の追憶が在る。冬の寒い最中、どんど焼き(門松・竹・しめなわなどを燃やす行事)の炎に、長い串に刺した団子を焼く為、長いこと辛抱して近付いた幼い頃の感触を想い起こす。当てられ、ゆっくりと思考が動きを止めてゆき、その代わりに別の何かが身体に入り込んで来る。 近年の個展に「欲動_空洞」(2010・ヒルサイドフォーラム/東京)、「空洞説・2010 AKIYAMA」(秋山画廊)、「供犠と空洞」(2009・国際芸術センター青森)など、代表的なグループ展参加として「もの派とポストもの派の展開/1969 年以降の日本の美術」(1987・西部美術館/東京)、「ドクメンタ 8 Kassel 1987」 (Museum Fridericiamum/ドイツ)、「第44 回ヴェネツィア・ビエンナーレ 1990」(Giardini di Castello/イタリア)、「横浜トリエンナーレ2001 メガ・ウェーブ 新たな総合に向けて」(パシフィコ横浜/神奈川)など多数。2008 年、自身がアトリエを構える埼玉県所沢にて「所沢ビエンナーレ美術展」を中山正樹・戸谷成雄等と共に発足。
水谷一 Hajime Mizutani [1976 年生まれ] ドローイングを主軸としてインスタレーションを展開するアーティスト。第三者の視線として、ごく簡単にではあるが、三人の作家紹介文をここまで書いて、自分の紹介文で案の定つまづく。紹介文の執筆者名を明かさず、自分で自分の作品の体験談を書こうとも考えたが、それは別の機会を作った方がいい気がするし、ここで他人のフリをするのもどうにも白々しい。白々しくて体が痒くなる。実際のところ、第三者的に自分の作品を眺める事は少なくないので、書く事は充分可能だが、それが第三者的であることを保証する術はない。だからと言って最初から私ではない、当展覧会にとって全くの第三者である誰かに紹介文をお願いするのが妥当とも思えない。一連の私の文章が私の作品の紹介となる事を願うが、果たしてどうか。 これまで国内外の8つのアーティスト・イン・レジデンスに参加。個展に「消失」(2010・GALLERY MoMo Ryogoku/東京)、「事象」(2009・劇場寄井座/徳島)など、グループ展に「第一回所沢ビエンナーレ美術展 引込線」(2009・西武鉄道旧所沢車両工場/埼玉)、「越後妻有アートトリエンナーレ2009」(十日町市立東下組小学校/新潟)「一枚の絵の力」(2010・island)など多数。
※全文提供: アイランド・アトリウム
会期: 2011年1月15 日(土)-2011年2月6日(日) 会場: アイランド・アトリウム
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