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森弘治:his speech
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 6月 16日

copyright(c) Koji MORI

森弘治によって提示される作品の多くは、そこに目を向けるべきもの、読み取るべき意味があることをフレーム化し、図式化することで、社会的なコンテキストへの通路を開いていく。

2007年の第52回ベネチア・ビエンナーレで展示された映像作品「A Camouflaged Question in the air」では、公園にぽつりと立つ様々な人物が、クエスチョン・マークをプリントした大きな風船を手にしている。この作品には、アメリカから帰国した森が、疑問や感情を表に出すことが少ない日本人に疑問を外に放つチャンスを与え、自らが感じた孤立感とともに描写している。

森弘治は自身を現代社会のアウトサイダーと位置づけているかのように、インサイダーにとって恒常化してしまった、声にしない社会の秩序、常識、言語などの要素を私たちに提示する。アメリカに10年間滞在し、ベルリンや韓国でのレジデンスプログラムを経験してきたこの作家にとって、外来者としての自己の立ち位置は、社会を構成する文化的なシームを見つけ出す、鋭敏な感覚を身につけさせることになった。ひとつの社会は、来歴の異なる様々な文化や習慣が多層的に折り重なっており、内部の者にとって日常化した風景も、外部の目を通せば異質なもののパッチワークとなる。

しかし、森の作品が、公共的なコンテキストへと見る者を差し向けるのは、社会的な論点を題材としているからでもなければ、外来者という視点をとおして社会を批判的に見ているからでもない。プライベートな視点を徹底することが、公共的な問題圏への参加を担保した枠組みが失効しつつある状況で、森弘治は公共性へと開かれた数少ないアーティストの一人である。それは、森の制作の手法が、公共性の成り立ちそのものを再演するかのようなアイロニカルな構造をもっているからである。

映像作品の核にあるのは、巧妙な道具立てやプロットであり、ユーモアに満ちた仕掛けである。定点観測のようにスタティックで、対象を冷静に客観視するようなワイドショットの映像は、公と私の関係の成り立ちに光を当てる装置となる。カメラの前に立たされた年齢も属性もばらばらな人物は、それが作家自身である場合も含めて、何らかの役割を割りふられ、奇妙なプロットを演じている。

この仕掛けが進行するにつれ、私たちが目にするのは、その所在なさげな人物と与えられた役割がシンクロしていく微妙なゆらぎであり、それは私たちのあり方にも通じるものだ。かつての生活世界から切り離された公共空間では、私たちは、目的も意味も十分には理解しないまま、何らかの役割を演じている。社会的な振る舞いとは、与えられた奇妙なプロットを、第三者の視点に対して演じることに他ならないのである。

his speechと題された本展覧会は、新作「student actors」を中心として構成される。3部からなるこの映像作品は、国会での答弁を台本とし、演劇を学ぶ学生が芝居を完成させるというものだ。その他、テクスト作品やドローイングを展示することによって、言葉やそれが語られる状況を主題化する。

森 弘治
1969年神奈川県生まれ。多摩美術大学卒業、マサチューセッツ工科大学(MIT) 大学院修了。映像を中心に活動。主な展覧会に、第52回ヴェネツィア・ビエンナーレ「Think with the scenes - feel with the mind」、原美術館「アートスコープ2005/2006」、ジュ・ド・ポーム国立ギャラリー「The Burlesque Contemporains」(フランス)、など国内外で作品を発表。

※全文提供: ヒロミヨシイ

最終更新 2009年 6月 27日
 

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