太田三郎:子供の時代 |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2010年 1月 26日 |
太田三郎は、日々の生活の中で、ともすれば見過ごしたり、気に留めず忘れてしまう些細な物事、たとえば道端に生える草花の実や種子、新聞の片隅に載った小さな記事などを、「切手」という身近なかたちに留めることで私たちに提示します。その作品は切手の形状とその中に収められたモチーフによって鑑賞者の想像力を解き放ち、その背後に存在する時間や空間についての実感に満ちた世界へと導きます。 本展で発表される新作《あひるの子供たち》はダウン症児をもつ親によって設立された団体『あひるの会』との交流から、そして《石の小箱》は児童虐待についての新聞の報道に基づいて制作されたものです。 太田の作品は、植物の種子を和紙に封入し、採集した年月日と場所を記した切手状の作品《Seed Project》に代表されますが、その一方で、第二次世界大戦から帰らなかった兵士や原爆被爆者、中国残留日本人孤児など、戦争によって引き起こされた問題もまた、作品の題材として多く取り上げられてきました。戦争を過去の出来事と決めつけるのではなく、私たちがいる「今ここ」に繋がっていることとしてとらえる、この《Post War》シリーズと関連する作品に、《最後に勝つものはまごころである》があります。シベリアに抑留された日本人捕虜、山本幡男が強制収容所の病床で記した家族への遺書4通(4500字)のうち、子供達に宛てた手紙を太田が自ら書き写した作品です。収容所では文字にしたものを持ち帰ることは一切禁じられていたため、仲間たちが危険を顧みず遺書の一字一句を暗記し、帰国後遺族へ届けたという事実に太田は胸を打たれました。この作品は「伝える」ことの難しさと、その困難を乗り越えて伝えられるものの豊かさや深みを湛えています。それはまた、太田の作品全体に通底する本質的な要素でもあります。 ハンディキャップをもって生まれながらも、親の愛情に包まれて前向きに生きる子供たちと、健常児として生まれながら、身近な大人の手によって命を失う子供たち。このような子供の現実について私たちは普段、新聞やテレビなどの報道でしか見聞きすることがありません。そうした「情報」は、その時私たちの心を動かすことはあっても、心の動揺はしばらくすると大量の情報に紛れてかき消されてしまいます。太田は、痛ましい出来事を耳にする度に抱くやるかたない思いと、自らが接してきたダウン症児やその両親との交流から得た温かな実感の両方を、「伝える・繋がる」ための手段としての作品に託し、静かに提示します。人間が成しうることと犯してしまうこと、人間の強さと弱さを証明するふたつの事実を、一人でも多くの人に真摯に受けとめてもらいたいという“祈り”に満ちた作品たち。これらの作品の中に息づく、ふたつの「子供の時代」は、単なる「情報」とは全く異なる深度で、見る人の心に伝わることでしょう。 子供の成長を見届けることなく、遠い異国の地で息を引きとった山本幡男の遺書の冒頭には次のような言葉が記されています。 「——私の夢には君たちの姿が多く現れた。それも幼なかった日の姿で・・・ ※全文提供: アートコートギャラリー |
最終更新 2010年 3月 19日 |