原口典之:社会と物質 |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 6月 15日 |
建築設計ユニット・みかんぐみによってリノベーションされた、約3000㎡もの広大な敷地を有するBankART Studio NYKを全館使用して、「原口典之展 社会と物質」(2009年5月8日〜6月14日)が開催された。元々は倉庫だったという建物の、三階奥に展示されていた≪Oil Pool≫に注目したい。 長方形の、廃油のプール。言葉にすれば一言で済んでしまう作品だが、その強度たるや凄まじいものがある。臭う。が、それ以上にからだを惹き付けるのは、その美しさによるのだろう。廃油のプールに、その空間に存在するあらゆるものが、クリアに映り込んでいるのだ。荒々しい天井の梁も、太い柱も、窓から射し込むやわらかい光も、そして私自身も、その場のすべてが廃油の表面で明確な像を結んでいる。 「ポストモノ派」と呼ばれる原口は、物体や素材そのものを主役とし、一貫して美術の制度、ジャンルを超克する作品を制作してきた作家である。たとえば、今回の展覧会でも最初に展示されているのは戦闘機をあたかも輪切りにしたアルミ製の≪Phantom≫であり、それは美術を超えた、作ることに対する挑戦と言えるものだ。なぜ美術家が戦闘機を、と思う時点で、それは美術という制度に毒されている証拠である。あるいは≪Color Relief≫は美術館やギャラリーに収まると、その硬質な質感によって、さも特殊な素材を用いて制作された絵画のように一見見える。しかし豊かな色彩からなるその作品は、アメリカ製の洗濯機のボディを元にしたものだ。それから、ゴムを使った彫刻である≪Rubber≫。作品は円形でドーナツのように中心に穴が空いており、会場のドアが開け放たれているためにそこからは横浜らしい、海が見えるよう配置されている。借景により、総計10トンにもなるというその質量からは想像できない軽みが備わっているのだ。ゴムの臭いはもはや問題ではなく、作品からはまるで潮の匂いが漂ってくるかのようである。すなわち原田の作品はモノがモノだけで存在するのではなく、周りの空間を大きく取り込むことで成立している。 現代は、「大きな物語」が失効し、小さなコミュニティが乱立し、趣味嗜好からそれらを取捨選択し、好きなものは愛で、自身に関係のないものは不要と排する、そういう時代だと言われる。だからこそ私はかねてから、美術鑑賞もまた、からだをその場に投げ出すことでしか得られない体験が必要だと考えてきた。世界は心地よいもの、理解できるものだけで構成されているのではない。松井みどりによる「マイクロポップ」は確かに90年代から00年代へといたる日本現代美術の一側面を鮮やかに切り取った言葉に違いないが、ささやかな日常の組み合わせだけが私たちにとってのリアルだとしたらそれはあまりに虚しくないか。それは人間というより、生物としての明らかな退行である。重要なことは「大きな物語」への回帰ではなく、より広範な自然一般や、私たちのからだ自体へと耳を傾けようとすること。そしてからだ全体をそれらのために、感度の鋭いセンサーにすること。その意味で原口の作品は、今の時代だからこそのアクチュアリティを十二分に備えている。 参照展覧会 展覧会名: 原口典之:社会と物質 |
最終更新 2015年 10月 24日 |