fig. 5 「Makoto Azuma Exhibition at ARKHILLS Bridge of Plants」(ARKHILLS)、オープニングプレスレビュー(2009年12月1日)風景
撮影:椎木俊介|画像提供:AMKK
ARKHILLSのアーク・カラヤン広場に突如現れた東信の《Bridge of Plants》(2009年)は、タイトルと「都市と自然との架け橋」というコンセプトだけ聞けば植物によって作られた橋の姿を比較的容易に想像できるが、作品を実見するとその予想は呆気なく覆される。少なくともそれは、山間部に見られるような蔦に覆われた木製の吊り橋、のようなものではない。「橋」というより四つん這いの巨大な「虫」であり、つまりその「橋」はあくまでも象徴としての「橋」なのである。それゆえ実際の橋としての〈あちら側〉と〈こちら側〉を架橋するという機能はまったく備えておらず、正大なコンセプトとは対照的に「虫」のごとき体躯の作品はあまりにもあっけらかんと広場に腰を下ろしている。
広場には、サイズだけ考慮すれば「橋」を思わせる巨大な《Bridge of Plants》が噴水前に一点、距離を置いて比較的小さいものが点々と二点配されており、それらはその名のとおり植物が表面を中心に植え込まれている。実際の植物が数多く植え込まれているため、作品の展示期間である2009年12月1日から2010年5月5日の初冬から初夏にかけて、作品が成長・変化するというのがこの作品最大の特徴だ。
ただし東の作品について考えるとき、作品における成長・変化は珍しいことではない。東の植物を用いたアートワークはこれまでも植物の生物としての特性を反映し、そのことが何より作品に強度を与えていたからである。作品が展示される半年という期間は確かにこれまでの作品を振り返れば長い。東が植栽を担当した大竹伸朗による直島銭湯「I♥湯」が、公共浴場として営業が存続するかぎりその場に存在し続けることを別にすれば、《Bridge of Plants》は東のアートワークの規模としてはおそらく現時点で最大のものだろう。私たちは森ビルという東京の〈都市〉を象徴する企業の敷地の中で、作品を通じて植物の生長・変化を見る。だが、先の理由からそれだけがこの作品の特性と考えることはできない。それだけでは結局、「都市には自然が希薄である」とあたかも「都市」と「自然」を対立するものとして考えがちの私たちの思考の貧しさを浮き彫りにするだけである。なぜなら、たとえば東京にはそう言うほど自然がないわけではなく、行政の緑化計画によって公道にリズムよく並んだ樹木や森林公園、あるいは自宅で育てることが可能な観葉植物など、私たちは四季を通じて植物の変化を見ることが十分可能な環境にあるからだ。それらをなおざりにして、東の作品からだけしか「都市」と「自然」の共生を見ないのは怠慢である。したがって、東の作品はそれ以上のものがなければならない。町に植わっている植物も備えているが、容易には感受し難い何かがなければならない。
おそらくそれこそ、《Bridge of Plants》が「虫」のごとき形態をしている理由にほかならない。すなわち、植物は間違いなく「生きもの」であるが、基本的に地中に根を下ろし、好き勝手に地上を動き回るようなことはしない。その点で、「動物」ではない。が、それらは水を求め、太陽の光を求め、呼吸し、成長し、花を咲かせ、実を実らせ、葉の色を変え、そしていずれ死ぬ(枯れる)。その過程は私たち動物や昆虫と変わるものではない。《Bridge of Plants》は「虫」のごとく広場を動き回ることはないが、そのような植物の当たり前の事実をきわめてわかりやすく可視化した作品なのである。その点で《Bridge of Plants》は、私たちの植物に対する既成概念と植物との関係を架橋する。