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栗山斉:∴0=1 -prelude
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 7月 21日

≪∴ 0=1 - light from the earth≫2009年|25 X 35cm|type C print, acrylic boad, etc.|画像提供:magical, ARTROOM copyright(c) Hitoshi KURIYAMA

「リテラル⇔フェノメナル」の触媒
栗山斉の唱える《∴0=1》は、いつ、どこで成立するのだろうか。前者に関しては、それは「∴0⇔1」という図式として開示することが可能であるかもしれない。例えば、ヒューズが切れる際の多彩な発光パターンをとらえた写真群では、ヒューズが熱によって溶けることで「消滅」(「1→0」)する瞬間、「生成」(「0→1」)される光の現われが写し撮られている。ただし注視しなければならないのは、「⇔」によって示される瞬間性が、単に記号として置き換え可能な理念的な世界ではなく、物質的に後戻りすることができないマテリアリティの折り込まれた一回性の現実世界に規定されているという点にあるだろう。よって、必然的に「1」として表示される数値の内実には、世界のあるがままの光景を現前させた、現象としての差異性が潜在化している。「0」に還元される「消滅」が、不在であるがゆえに同一的なフェノメナルな現象としてとらえられる一方で、淡く朧げな色斑の広がりは、同じ現象のまたとないリテラルな差異を浮かび上がらせている。 後者の問いに関してもまた「⇔」という図式として開示することができる。天体観測装置を用い街の灯を撮った新作シリーズでは、まるで夜空に広がる星の動きを反転させたかのような光線が写し出されているが、こうした光線の現われもまた「ある地点」からとらえたリテラルな光景であるにもかかわらず、地球外の「無限遠点」によっても定位されるという両義性を兼ね備えている。つまり、私たちは「此処」という場にいながら、同時にフェノメナルな「彼方」の光景にも立ち会っている。このように、時間的かつ空間的に「リテラル⇔フェノメナル」といった両義的な可逆反応を活性化させながら、《∴0=1》という仮説を実証していく。栗山の作品は、帰納的な触媒作用としての様相を呈していると言えるだろう。(粟田 大輔)

栗山斉
1979年 兵庫県生まれ
学歴:2009年 東京藝術大学大学院美術研究科博士課程在籍

主な個展
2006年「 栗山斉展」(INAXギャラリー2 / 東京)
2007年「 ∴0=1 ー光痕」(ギャルリー東京ユマニテ/ 東京)、「control-a room」(magical, ARTROOM / 東京)
2008年「 traveler」(遊工房アートスペース/ 東京)
2009年 「A point」(party / 福島)

全文提供: magical, ARTROOM

最終更新 2009年 8月 01日
 

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