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西森瑛一:天国について
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2013年 7月 23日

 

児玉画廊|東京では7月13日(土)より8月10日(土)まで、西森瑛一個展 「天国について」を下記の通り開催する運びとなりました。
児玉画廊ではこれまで四度の西森の個展を開催しましたが、その度毎 に表現の変容に驚かされつつも、より深化する世界観に魅せられてきま した。2007年の初個展「(A) SONG (S)」では黒々とした木炭のドロー イング、2009年「Tinctura」ではゲーテの色彩論を基とした水彩のタブ ロー、2011年「木々のために」では光の自然現象を題材とした作品、そ して、昨年の「さまよえるきらきら」ではそれまでの作品で見せてきた 色彩や光の表現に新たに西森独自の心象風景が融合したような深い精神 性を感じさせる作品を発表しました。
そうした西森の作品の変遷は、無駄にあれこれ手を出したということ ではなく、常に自身の内面にあると言う、不可解な「漠たる世界」と向 き合い続けてきた結果です。特に膨大に制作された2006年から2009年 頃の木炭による初期のドローイングや水彩によるエスキースのシリーズ は、闇雲に根拠の無い作業を続けるという苦悩を滲み出すかのような壮 絶さを感じさせます。言葉では言い表すことの出来ないその「漠たる世 界」を表出するために、西森は書き殴るように無限に手を動かし、まる で独自の言語か新しい象形文字を編み出すかのように、それを捉えるべ く線描を生まねばならなかったのです。「Tinctura」以降、色や光に主 題を求めるようになったことも同様に、淡くグラデーションを作りなが ら重なっていく色彩の中に線描に代わる象徴的な性質を見い出して、そ れを色彩論や神秘主義と重ねあわせた独自の解釈によって、「漠たる世 界」を何とか色彩に置換して表そうとしました。しかし、線描や色彩の 試行錯誤を経た後もなお、「『光に浸透されたいという軽さ』と『色彩 がフォルムへと濃縮する重さ』」、その二極間の緊張と滲み合い」と西 森自身が述べているように、依然として自らの抱えるイメージを捉えあ ぐねる中で、いっその事、解釈しきれないことや描けないこと全てを 「肯定」してしまおう、と思考を大きく転回させるに至ります。理論や 技法に頼って上手く正しく描こうと躍起になるのではなく、自分を支配 する様々な観念を排除して、純粋に、ただ描いてみれば良いのではない か。なんとか体裁を整えて現代美術的文脈に寄り添そわなければという 妄信を退け、自己肯定によって、長らく抗うようにして自らと対峙し続 けてきた緊張を解き放なとうとしたのです。一昨年の「木々のために」 をきっかけに、その肯定的な姿勢で臨む絵画制作を続けています。
西森の言う「肯定」とは、単にYESということだけでなく、「こうし なければ」「こうあるべき」という常識に沿って感覚が微調整される以 前の、くだけて言えば「子どものような」感覚に率直に従う、というよ うなニュアンスを含みます。「漠たる世界」とは何であるのか、たとえ この先も西森が解釈し得なかったとしても、それが西森自身を制作へと 突き動かす動機であり続ける以上、描きたいという衝動に素直に従うこ とこそが、西森が今取り得る最善の方法に違いないのです。その覚悟を 「肯定」と呼ぶのです。

自分に表現できる「天国」のぎりぎりが意識と無意識を隔てている鏡 が壊れる瞬間の、まだこちら側に立ってはいるけれどあちらが見えるか もしれない、という光景です。一種のチラリズム。それが自分なりの 「天国」の描き方で、可能な限りリアルなファンタジーです。(西森瑛一)

今回の「天国について」では、「天国」という象徴的な存在を「漠た る世界」のメタファーとしています。ギリギリまで研ぎすました感覚で、 僅か一瞬だけ垣間見えるような世界。西森が追い続けているものはその ような瀬戸際にあるのです。天国そのものを見る事は出来ないけれど、 美しい景色に出会えば、あぁ天国のようだ、と感じる事ができるように、 描きたいと感じるその美しい情景を率直に描き続けることが、「天国」 に最も肉薄する手段であるのです。
つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜 しくお願い申し上げます。

敬具
2013年7月
児玉画廊 小林 健


全文提供:児玉画廊 | 東京
会期:2013年7月13日(土)~2013年8月10日(土)
時間:11:00 - 19:00
休日:日・月・祝
会場:児玉画廊 | 東京
最終更新 2013年 7月 13日
 

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