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池田孝友:ダルマのカルマ
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 7月 08日

画像提供:neutron tokyo copy right(c) Kosuke IKEDA

池田孝友のこれまでの作品は一貫しているようで、でも実はちょっとした変化が際立つ展示が展開されてきた。ゲルインクボールペンの線によって作られる数種類のパターン。そのパターンを組み合わせることによって作り上げられた面で構成される画面。それは以前からの彼の手法であり、彼の作品の一番の見どころである。細やかな線の集合体、鮮やかな色合い、大きく広がる画面、全てにおいて緻密な計算が感じられるとても繊細なものである。そんな彼のneutron kyotoでの個展が開催されて半年。とても長い時が経過したようにも感じるし、あっと言う間だったような気もする。というのも今回の東京展に至る間に、彼の作品に大きな変化があったからだ。

これまでの池田の制作において、配色や線のコントロールは実に重要な要素であった。画面上で隣り合う色は必ず違うものを使用し、非常に気をつかっていた。それは彼の作品に動きを生み出し、軽やかさをも作り出していた。ただし、時にそれが制約となってしまい自由が奪われていたことも事実である。そんな彼に転機が訪れる。それはふとした瞬間に見た山の美しさである。山に広がる様々な木の色達。燃えるような赤の紅葉に、黄金色に光り輝く銀杏、瑞々しい新緑の若葉に、一つの命を静かに終えた老木。それらの色の配置は誰かが決めたわけではない。自然の中でそうなっただけだ。計算されたデザインの様な緻密さはそこにはない。それでもなぜか私達は自然の色の美しさに心惹かれる。その事実は彼の肩の力をすっと抜き、作品に伸びやかさを生じさせた。

色の選択の自由さからか、作品の構図・形にも変化が見られるようになった。例えば線を組合せて作られるパターン。彼はある特定のパターンを作ることによって面を描き分けている。作品中には常に数種類のパターンが存在し、画面上を彩っている。そのパターンも時の経過とともに少しずつ変化してきている。以前は見られたパターンが現在では使用されていないものもある。また同様に形にも変化が見られる。実際に存在する建物や通りなどの、とある場所。2004年頃の作品を見てみると、フリーハンドで引かれた線で多少の歪みはあるものの、どこかの町の風景を忠実に描いていることがわかる。しかし最近の風景画では、まるで異次元の世界へと続く道のようなゆらゆらとした曲線の建物が目立つようになる。本来の形と比べるとかなりデフォルメされたものも多くある。それでもなお、彼はどこかに実在する場所を描いていた。そんな風景を描いた新作で、またひとつ変化が見られる。モチーフの形状は今まで以上にデフォルメされたものが並び、建物もまるでなにか生命体のように個性的な動きを見せている。その建物群が織りなす風景は、実際には存在しないどこかを描いたものであり、まさに自由を手に入れた彼から飛び出した生き物のように、画面上を動き回る。彼の作品はこれまでの技法はそのままに、色・形・構図…全てにおいて自由を獲得したのだ。

もっと自由に、もっと伸びやかに。彼の作品は今、とてものびのびとした線が踊り、色が舞っている。それはまるで新しい命を謳歌する新緑が喜び踊り、色鮮やかな落ち葉がひらひらと舞っているかのようだ。

(gallery neutron  桑原暢子)

※全文提供: neutron tokyo

最終更新 2009年 8月 26日
 

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