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ゴッホ展 空白のパリを追う
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2013年 6月 14日

フィンセント・ファン・ゴッホ 《グレーのフェルト帽の自画像》 1887年 油彩・綿布 アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館蔵
Vincent van Gogh(1853-1890), Self-portrait with grey felt hat, 1887-09 Paris, oil on cotton, 44.5×37.2cm
Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

オランダ近代絵画の巨匠、“炎の画家”フインセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、よく知られている作風のように、本当に燃えさかる情熱的な人生を送ったのでしょうか? なかなか報われない努力に苦悩し、自己嫌悪に陥った日々が、彼の作品を見れば見るほどひしひしと伝わってきます。 アムステルダムにあるゴッホ美術館の研究チームは、7年にわたりゴッホの実像を追い求めてきました。その答えは意外にも、空白であったパリ時代の作品に隠されていました。 今日のゴッホ研究は、弟テオとの書簡をもとに検証されています。 しかし、33歳を迎えたばかりのゴッホがテオと同居していたパリ時代には、それらの書簡が存在しないため、ゴッホのパリでの生活をうかがい知ることが出来ませんでした。 今回の「ゴッホ展」では、ゴッホ美術館(アムステルダム)の改修工事のための約6ヶ月間の閉館に伴い、多数の日本未公開作品の展示が実現しました。 全52作品のうち36作品が日本初公開となり、また、ゴッホが描いた自画像のうち、8点が日本に揃うというのも初めてのことです。 一見、『自画像10点の公開では?』と思った方も多くいらっしゃるかもしれません。 しかし、1点は弟テオの肖像画で、もう1点はジョン・ピーター・ラッセルが描いたゴッホの肖像画です。これも今回の見どころの一つではないでしょうか。 ラッセルが描いた精巧なゴッホの肖像から、本当の『ゴッホの顔』を知ることができます。 これらをはじめとした、ゴッホの謎を紐解きながら進んでいく展示方法をぜひお楽しみください。 ゴッホの挫折と苦渋からの再生を、孤独の中の強靭さを、そして日本との不思議な関わりを、あなた自身の眼で追想してください。 後に、光を求めて移住した南仏の地で、ゴッホに訪れる悲劇の序章が、“空白のパリ”に、すでにあったのかもしれません。

【フィンセント・ファン・ゴッホについて】
1853年、オランダのフロート・ズンデルトにて、牧師の父のもとに生を受けたフィンセント・ファン・ゴッホ。16歳の頃、画商の叔父の影響で美術商を目指しますが、恋に破れ精神を病んでしまいます。環境を変え、イギリスに渡り補助説教師を務めるものの長続きせず、オランダに戻り神学校を目指しましたが、これも断念してしまいます。27歳の夏、弟テオの経済的援助を受け画家を志し、素描を描き始め、その2年後には本格的に油彩を始めます。
33歳の頃、パリに住む弟テオのアパルトマンに転がり込み、ジョン・ラッセル、ベルナール、ゴーギャン、ロートレックらと出会います。そして、印象派や日本の浮世絵から大きな影響を受け、画風は大きく変化します。このころからゴッホはパリでの生活に疲れ、もっと鮮やかな“色”を求めて、南仏に移住します。南仏で生まれた作品が、今日のゴッホの代表作の数々として知られていますが、当時は評価されず売れることはありませんでした。彼の情熱はやがて絵画ではなく自身の内に向けられることとなります。
そして、何かにつまづく度に精神的に不安定になり、好転を求め環境を変えていきましたが、結局は、自ら37年の人生にピリオドを打ちます。本当は、私たちが知る“情熱的な”人格ではなく、“繊細すぎる”が故の衝動的行動が際立った人物だったのではないでしょうか。画家人生わずか10年間に2,000点もの作品を制作したにもかかわらず、ゴッホの生涯で売れた作品は、たったの1枚だけでした。


全文提供:広島県立美術館
会期:2013年7月22日(月)~2013年9月23日(月・祝)
時間:9:00~17:00 ※金曜は20:00まで開館 ※入館は閉館の30分前まで ※7月22日は10:00開館
会場:広島県立美術館
最終更新 2013年 7月 22日
 

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