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「楽園創造(パラダイス)-芸術と日常の新地平-」Vol.2 池崎拓也
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2013年 5月 08日

池崎拓也 スタジオ風景 2013

フィクショナルな世界とスリリングな「楽園創造」 中井康之

今回のαMプロジェクトは、当初「芸術と日常」というキーワードを掲げて用意された。 その骨子は、20世紀芸術の前衛性に先鞭を付けた「ダダイスム」という「芸術」運動が、 第1次世界大戦という絶対的な「日常」と対峙しうる表現として登場した 歴史的事実を踏まえ、3.11以降という「非日常」と「日常」の融解した状況を映し出す、 或いは、それを無化する絶対的表象としての「芸術」を希求することを考えた訳である。 もちろん、そのような「芸術」を見出すことは容易には適わないだろう。 しかしながら、逆説的な物言いになるが、その絶対的な対象は、 求める限りにおいて存在する可能性を有すると想定できるであろう。 そのような、追い求めることによって存在する対象として最初に掲げられる用語は 「楽園(パラダイス)」であろう。 《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》という作品を 作家生活の晩年に創作したポール・ゴーギャンは、 その「楽園」を求めて南国の地タヒチへ向かった筈であったのだが、 首都パペーテはすでに西洋化し、落胆しながらもさらに奥地へ足を進めたのである。 ゴーギャンが行きついた先が「楽園」であったか否かは分からない。 しかしながら、彼が我々に残していった上記の畢生の大作と 彼の自伝的物語『ノアノア』等から伝わってくるのは、 ゴーギャン自身は確かに「楽園」を見ていたと信ずるに足る 「創造された世界」の存在であろう。

さて、以上の様な経緯によって獲得されたタイトル 「楽園創造(パラダイス) −−芸術と日常の新地平−−」の第2弾を飾るのは、 日常的な事物の存在をそれぞれが有する文脈から外した上で独自な方法論によって 世界構築を具現化する作家、池崎拓也である。彼が作品素材として用いる事物たちが 「オブジェ」という名称を与えられ、美術史上に登場したのは、 奇しくも前述の「ダダイスム」という反芸術思想の実践によってであった。 ここで、もう少し「オブジェ」という用語に対して正確に記す必要があるかもしれない。 様々な固有名詞を持っていた事物たちが、それぞれに付されていた名称を剥奪されて 匿名的な単なる事物(オブジェ)とされながら、 唐突に芸術作品の主題(シュジェ)としての立場に晒された、というのが 「オブジェ」に対するより正確な説明であろう。 もちろん、「ダダ」の反芸術的精神を尊重するならば、 主題となった「オブジェ」の出自を問うこと自体に意味が無いことは当然であるし、 さらには、主題としてどのような役割を果たすのかを問うことも許されないであろう。 果たして、池崎は、「オブジェ」の前述した誕生の経緯を尊重するかのように、 それぞれが有していた役割を剥奪した上で、それぞれに与えられた機能というものが 何であるのかを特定することが困難と思われるような構造をその事物たちに用意し、 鑑賞する者は、判断を中断することを余儀なくされる。 と同時に、それらの「オブジェ」たちに秘かに新たな役割が与えられていることもある。 そのようにして構成された事物たちが全体として顕現する表象は、 反芸術的世界からは乖離したものになり、鑑賞する者は知らぬ間に 池崎のフィクショナルな世界構築に取り込まれるだろう。 そして彼らは、池崎のそのスリリングな「楽園創造」に全面的に対峙することになる。

[作家コメント]
ありふれた表面の奥の方、向こう側。
池崎拓也

僕の作品制作は、主に日常品を素材としている。
そして、素材を選び、組み合わせることによって、
素材同士の繋がりやその変化、そして関係性を、
ある状態に置き換えて表現にしている。
それぞれの素材が持っている言葉のようなものと僕の思考が繋がる時、
個人の記憶や時間の感じ方、手触りのようなものが得られる。
それは、僕らが生きる現代の社会やシステム、世界の枠組みに触れること、
或いは素材の特質や加えられた変化によって、近づいて行くような感覚である。
しかし、同時に僕の作品存在そのものは、
いつも断片化されたどこにでもある風景の切れ端のように佇んでいる。
あたりまえの様に佇むそれらの切れ端は、
ある「道」のようなものを内包しているように思う。
一方には、質感や色彩、その素材が持つ機能性やイメージが言語に置き換えられ、
詩的に散らばり、つながっていくような「道」。
また、もう一方には、素材自体が持っている形態を規定する、
基本的要素としての点や線、面として繋がって行く「道」。

この二つの「道」が重なりながら連鎖していくことで見えてくる作品の様相は、
どこの場所にも存在しない言語の文法を組み立てていくように、
僕たちが経験しえなかった無限に広がる世界やその解釈を新たにする内容が、
何度も何度も繰り返し読み込まれる可能性を秘めている。

たくさんの「もの」や「事」に囲まれている現代の生活の中で、
全体の認識はつねにこぼれ落ち、部分だけが残る。
つねに全体の一部であり続けることを受け入れたいと思う。
限り無く拡張しつづける日常空間という世界に、
身体の全感覚を使い、身を揺蕩わせたい。
そして、自分を取り巻く事柄、故郷や社会について、
目の前にある素材を通して深く往来しながら、過去や未来、現在を思考する。

安定した状態や不安定な状態、
それらが示す「ある状態」と扱われている素材同士の力関係が、
相互に作用しながら現実の一片が立ち現れ、
物質や精神的な意識が流転しながら「存在すること」の意味をパラレルに拡張していく。

[作家プロフィール]
●池崎拓也 いけざきたくや
1981年鹿児島県徳之島生まれ。2005年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。
2008~2010年 中国北京中央美術学院造形部実験芸術科研修終了。主な個展に、2009年「瞼の裏側とその空虚マップ」(新宿眼科画廊、東京)、2007年「その時、瞬き しました」(Loop Hole、東京)など。グループ展に、2011年「4人展 -絵画-」(シュウゴアーツ、東京)SLASH/04「飛ぶ次元-found a pocket-」(Island Medium、東京)、2010年「皮膚と地図―4名のアーティストによる身体と知覚への試み」(あいちトリエンナーレ2010 現代美術展企画コンペ入選企画展)など。

アーティストトーク 5月25日(土)17時~18時


全文提供:gallery αM
会期:2013年5月25日(土)~2013年6月29日(土)
時間:11:00~19:00
休日:日・月・祝
会場:gallery αM
最終更新 2013年 5月 25日
 

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