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貴志真生也:ストーブからはなれる寂しさ、扇風機からはなれる切なさ
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2013年 1月 21日

 

拝啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
児玉画廊|東京では1月19日より2月23日まで貴志真生也個展「ストーブからはなれる寂しさ、扇風機からはなれる切なさ」を下記の通り開催する運びとなりました。
貴志は2009年の個展「リトルキャッスル」(児玉画廊, 京都)でのデビュー以来毎年個展やグループショーを重ね、アートフェアにおいても昨年、一昨年のG-Tokyoでの作品展示が印象に残った方も多いかと存じます。昨年7月から9月に大阪の国立国際美術館において開催されました「リアルジャパネスク」展では大規模なインスタレーションを発表し、その特異な存在感を多くの観衆の記憶に植え付けました。貴志の作品はブルーシートや発泡スチロールなど、建築資材や梱包資材などの味気なくただ機能的でしかない素材を利用し、単純でシステマティックな構造によって制作されています。作品にはいくつか大まかな傾向が見られます。「造形に具体的な表象が見られない」「構造の規模に比して量感を伴わない」「某かの装置を思わせるが無目的である」「複雑に見えて極力加工や造作に対して抑制的である」など、あらゆる面で天の邪鬼的で、不条理性に特化した捉えどころのない「無意味な」作品と言えます。
非常に抽象的な表現ながらも「熱狂的な人々を見て、その熱に煽られるのではなく、逆に醒めていく」という作家の自身についての言説が、言い得て妙と思えます。貴志にとって作品は、それが何であるかという「意味」を読み解くものではなく、それが何を成されたものであるかという「行為」に対する考察を誘導していくものなのです。貴志の作品には、制作のプロセスがそのまま見てとれる作品も多く、目を奪う全体像の奇妙な造形によってそれは巧妙にカモフラージュされつつも、如何なる素材で構成され、どのように構造を保っているのかが最終的には誰にでも理解することができます。「作品に『意味は無い』」とあらかじめ明言し鑑賞者の理解をシャットアウトすることで、まず既存の美術と鑑賞者の関係性を打破し、次に、宙に浮いて目的を失った視線と思考を強制的にその構造や素材に向けさせることで、その存在の意味は理解できないけれども、それがどのように在るのかだけは認識されるように仕向けているのです。意味の無い構造物が美術品として成立するか否かという議論の次元ではなく、貴志の目論むものは、物が「何によって」作品となり得るのかを探る行為と思考の美術であろうと予測されます。従って「読み解くことが出来ず」「シンプルに」「なるべく無感情的に」「いくつもの矛盾を孕んで」、、、とまるで暗号文でも作るようなその制作手法の志向するところは、貴志だけのロジックを構築し新たな作品としての概念を獲得することにあります。
これまでの制作を引き継ぎつつも、貴志が見せる新たな展開として、平面的なアプローチが今回の新作には見られます。テレビで目にしたものをノートに描き出し、ある程度の分量をストックした上で、任意の組み合わせを作って配置するというもの、或は、ニスを塗った合板の板にルーターでライン状に削り出した溝を掘ったりおもむろに角材を取り付けてプラカードのような形状に仕立てたタブロー、立体的なインスピレーションを平面上に置換して構成し、立体の方法論を違った方向へ拡張させる意図によって制作した平面作品など、外見上は全くこれまでの作品になかった要素が散見されます。しかし、いわゆる絵画として何かを描画するというものとは一線を引いたところに意識を留めているため、画面上に滑稽な程無味乾燥さが露になっています。
今回は敢えて立体的な表現を控え、上記平面作品の新しいシリーズ展開に加え、映像およびサウンドインスタレーション等を含む、最新作による構成となります。貴志にとっても新たな地平を開く契機となる展覧会になりますので、本状をご覧の上、ご高覧賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。

敬具
2013年1月
児玉画廊 小林 健

オープニング: 1月19日午後6時より


全文提供:児玉画廊 | 東京
会期:2013年1月19日(火)~2013年2月23日(日)
時間:11:00~19:00
休日:日・月・祝
会場:児玉画廊 | 東京
最終更新 2013年 1月 19日
 

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