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立花常雄:補陀落渡海 -おしよせる深さについて-
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 5月 27日

copy right(c) Tsuneo TACHIBANA

2007年の「ビニールハウス」、2008年の「赤目四十八滝」に続いての3部作シリーズの最後である作品は「補陀落渡海」をテーマとしています。光の束をつくることという形で一貫したコンセプトである <光と距り> を今回も試みてはおりますが、写真的には、最初の「ビニールハウス」から徐々に見えとしての抽象的要素は少なくなっています。しかしながら、この作品においても写真装置によってのみ作り上げられる、抽象度の度合いを高めつつ生成する風景の様を感じとっていただければと思います。

補陀落渡海 -おしよせる深さについて-
史料によると、868年(貞観10年)の慶龍上人の入水が最初であったという。遥か彼方にある補陀落を求めて幾人が紀州・南紀の果て那智湾(丹敷浦)に御身を投じたという記録が残っている。この身燈よりも強い捨て身の行は補陀落渡海として知られることとなる。その後、那智湾でおこなわれた悲劇的な入水は約800年に及び続くことになり、やがては途切れるのではあるが現在もここ那智湾は補陀落渡海の代名詞としてある。

実のところ那智の浜は絶好の海水浴場でもありシーズンともなれば多くの人でにぎわう。南国の熱風が補陀落渡海の陰影さを全く感じさせることはない。しかしながら撮影に訪れた春先の浜は、単調な波の繰り返しが静寂さを際立たせ、また時折陰る日差しにつられ、フッと入水の歴史が表面に現れ出ることがある。

それは一瞬の予期せぬ(あるいは予定されていたのかもしれない)時空の陥穽によって生成される。歴史(時間)の堆積といおうか深さといおうか、眼前にあったはずの波は波になることなく、雲は雲であることをやめ、砂浜はただ濃淡のみの深さとなる。あるいはそれは入水の僧が己の生と引き換えに見得たかもしれない始源とでも呼ぶべき光景でもあったのではなかろうか。そして今そこに立つ私を包むその光景は、入水の歴史からさらに数百年を経て、ますます深遠さだけが極まりパライゾとでも形容するほかない抽象化された風景となるのである。
立花常雄

立花常雄
1967 奈良県生まれ
1997 三重大学大学院人文社会科学研究科修士課程終了。専攻 :地域文化論/欧米思想文化論。 研究領域:地域文化論、欧米思想文化論、写真史/写真論(特に19世紀の初期写真形成期)
個展
1993「パチンコ~difference and repetition」ブレーンセンターギャラリー:大阪
2003「-媒質・距離- process of becoming and depth」The Third Gallery Aya:大阪
2008「赤目四十八滝」The Third Gallery Aya:大阪

※全文提供: The Third Gallery Aya

最終更新 2009年 6月 23日
 

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