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シリーズ・川崎の美術 田中岑 91層の色彩
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2012年 7月 21日

《記憶》1958年 川崎市市民ミュージアム蔵

川崎市市民ミュージアムの美術文芸部門では、地域に根ざしたミュージアムとして開館以来、岡本太郎、濱田庄司らをはじめとした川崎ゆかりの作家の作品の収集、展示に力を入れて参りました。

シリーズ・川崎の美術は、収蔵作品を中心に、川崎にゆかりある作家を地域の皆さまに紹介する展示としてはじまりました。今回取り上げます市内作家、田中岑(1921-)は、その透徹した色彩と明瞭な構図で見る者を惹きつけている画家です。10代から油彩画を学び始め、その制作の傍らで、雑誌の編集に加えて書籍装丁も手がけ、絵本を制作するなど幅広い活動を展開しました。

また1957年に設立された安井賞の第一回受賞者として、当時の現代美術を牽引する役割を担い、91歳の現在も意欲的に制作を続けています。本展では近作を含めた作品や関連資料を展示し、今日に至る作家の多様な活動を紹介する機会としたいと思います。

主な出品作品
(1)市民ミュージアム所蔵、作家所蔵 油彩画、パステル画…約50点
(2)関連書籍等

全文提供:川崎市市民ミュージアム


会期:2012年5月29日(火)~2012年7月29日(日)
会場:川崎市市民ミュージアム2階 アートギャラリー3

最終更新 2012年 5月 29日
 

編集部ノート    執筆:田中 麻帆



《記憶》1958年 川崎市市民ミュージアム蔵

「91層の色彩」とは、どういう意味だろう?幾度となく絵の具が塗り重ねられているのか、それとも91色のグラデーションで描かれた作品だろうか?

そんな浅はかな予想を超えて、展示会場に並ぶ田中岑の作品は、はるかに深淵かつ重層的な色彩を見せていた。というのも田中は、御年91歳の現役画家なのである。

本展は、70年以上のキャリアを持つこの画家の軌跡を、時系列で漫然と概観するのではなく、「あか」「あお」「き」の三原色をテーマに構成している。制作年代にかかわらず色ごとに各展示室に並んでいるため、長い画歴において色彩を追求し続けてきた田中のストイックな一貫性がありありと感じられる。逆説的だがこのことで、彼がこれまで展開してきた、無限の諧調を持つ色のバリエーションに圧倒されもする。

戦中体験の記憶をはらむかに見える心象風景や、生命感に溢れる不思議な生き物、水面に浮かぶ静謐な詩情。これらのどの作品の色彩も、自然からエッセンスを得たような豊かなエネルギーに満ち、具象モチーフの気配をちらつかせながら、色としての自律性を保っている。絵の具を厚く重ねた層や、垣間見える下塗り、透きとおる薄塗りなどによって、輻輳的に紡がれた色合いに見とれてしまう。

扉を描いた一連の作品も印象的で、図示的ではなくごくわずかな要素によってドアが表されている。その色は教会のステンドグラスを通る光そのもののように崇高で、広い奥行きと連想をはらむ。ペインティングナイフが塗り重ねて切り開く、充溢した空虚のようなものが感じられた。

田中が絵の右下に書く署名は、その画面と同様、年を追うごとにシンプルに潔くなってきたようだ。展示室の表側に掛けられた、凧をモチーフとする三つの最新作品も、それぞれ赤・青・黄の三原色で描かれている。鮮やかな色彩はキャンバスの布地に染め入り、空に浮かぶ凧のごとく、ふわりと重力から自由になって見える。凧の中心に置かれた円は、太陽を思わせる明るい光を放つ。この三色は田中が91年の歳月において凝縮してきた、究極の色ではないかと思われた。

加えて、本展の会場には田中によるスケッチや本の装丁、絵本の挿し絵なども展示されており、色彩の画家において貴重な写実的デッサンの卓越した線を見ることもできる。


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