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国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2012年 7月 04日

イリヤ・レーピン《自画像》
1887年 油彩・キャンヴァス
国立トレチャコフ美術館所蔵
©The State Tretyakov Gallery

イリヤ・レーピン《浅瀬を渡る船曳き》(《ヴォルガの船曳き》の習作)
1872年 油彩・キャンヴァス
国立トレチャコフ美術館所蔵
©The State Tretyakov Gallery

イリヤ・レーピン《あぜ道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち》
1879年 油彩・キャンヴァス
国立トレチャコフ美術館所蔵
©The State Tretyakov Gallery

近代ロシア絵画の巨匠、日本初の本格的回顧展

文学ではトルストイやドストエフスキーといった文豪を、音楽ではチャイコフスキーやムソルグスキーといった作曲家を輩出した19世紀後半から20世紀初頭のロシアは、美術の分野でも才能ある多くの画家を世に送り出しました。なかでもロシア革命に至るこの激動の時代を生きた写実主義の画家イリヤ・レーピン(1844 -1930)は、近代ロシア絵画の旗手として活躍し、数多くの名作を残しました。当時の進歩的グループ「移動派」に加わり、社会的矛盾を鋭く捉えた作品や、革命運動をテーマにした衝撃的な作品を発表する傍ら、ロシアの民族精神を鼓舞する歴史画の大作や、深い洞察力で文化人等の肖像画の傑作を描いた画家としても知られています。また一方で、妻や娘など身近な人々を描いた心温まる作品にも注目したい画家です。
本展は、ロシア美術の殿堂であり世界最大のレーピンのコレクションを誇るモスクワの国立トレチャコフ美術館の収蔵品により、画業の初期から晩年に至る様々なジャンルの油彩画と素描、約80点で構成される、日本における過去最大の本格的な回顧展です。観る者を感動の世界に誘うレーピンの芸術を、心ゆくまで堪能できるまたとない機会となるでしょう。

[作家プロフィール]
イリヤ・レーピン 1844-1930

1844年 ウクライナのチュグーエフで屯田兵エフィーム・ワシリエヴィチとその妻タチヤーナの間に
長男として誕生。
1854年 10歳チュグーエフの軍事地形測量学校に通い、製図とドローイングを学ぶ。
1857年 13歳地元のイコン画家イワン・ブナコフの下で学ぶ。
1864年 20歳
画家イワン・クラムスコイと知り合う。
9月、美術アカデミーに正式に入学。
1871年 27歳
《ヤイロの娘の復活》で美術アカデミーの大金メダルを獲得、海外留学権を得る。
評論家スターソフ、作曲家ムソルグスキーらと知り合う。
1872年 28歳
美術アカデミーの展覧会で公開された《ヴォルガの船曳き》が称賛を浴びる。
ヴェーラ・シェフツォーワと結婚、長女が誕生。
1873年 29歳
家族とともに3年間の西欧留学に出発。
1874年 30歳第3回移動美術展覧会に出品者として初参加。
1876年 32歳ロシアに帰国。サンクト・ペテルブルクに短期間滞在した後、チュグーエフに移る。
1877年 33歳モスクワに移る。
1878年 34歳移動美術展覧会協会員になる。
1880年 36歳作家レフ・トルストイと知り合う。
1882年 38歳サンクト・ペテルブルクに移る。
1887年 43歳移動美術展覧会協会を脱会するが、出品者として参加は続ける。
1891~92年 47~48歳
サンクト・ペテルブルクとモスクワにおけるレーピンの大規模な個展の成功。
1894年 50歳美術アカデミー付属高等芸術学校の指導者に着任。
1898年 54歳美術アカデミー付属高等芸術学校学長に就任。
1899年 55歳クオッカラ(当時ロシア)に移る。「ペナーチ」と名付ける。
1905年 61歳美術アカデミー希望退職。
1917年 73歳サンクト・ペテルブルクにてレーピン芸術活動45年の祝賀会が行われる。
1930年 86歳9月29日逝去。クオッカラ(フィンランド)のペナーチに埋葬される。


全文提供:Bunkamuraザ・ミュージアム
会期:2012年8月4日(土)~2012年10月8日(月)
時間:10:00 ~19:00 毎週金・土曜日は21:00まで ※入館は各閉館の30分前まで
休日:会期中無休
会場:Bunkamuraザ・ミュージアム
最終更新 2012年 8月 04日
 

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