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Noriaki Yokosuka
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Published: June 08 2012

Noriaki Yokosuka

生涯をかけて心眼を冷徹に磨き、常に新しい事に挑んだ写真家・横須賀功光。 奔放なイメージを宇宙の如く膨張させて表した作品群はたとえ時代が変わっても凛然と あり続け、本来写真が持つ普遍的な魅力をたたえて静かに存在しています。 今からちょうど40年前制作された作品『壁』、89年作品『光銀事件』、そして94年作品『光学 異性体』のソラリゼーション作品の中から特に人体をテーマに制作された作品にスポットを 当て、いまでこそ写真が芸術として認識されるようになるずっと以前に、高い次元で写真の 可能性を追求し続けた横須賀功光の世界をここ広尾のギャラリーからご案内致します。 平成24年4月エモン・フォトギャラリーディレクター小松整司

[作家コメント]
裸体がある。
動く裸体、静の裸体、それは男女を超えたひとつの、その時代の〈存在〉でもある。
そこには、込められた気配がただよい、肉と肉がはじけ、血管がふくれ、発汗し、脂肪が溶け、筋肉が怒張する。
肌の内側に無心に入ると、裸体そのものから宇宙空間を持った 〈エロス〉そのものを感じられる。
写真家 横須賀功光

[作家プロフィール]
横須賀功光Noriaki Yokosuka (1937 - 2003)

1937年横浜生まれ、日大芸術学部写真科卒。学生時代に資生堂の仕事を手掛けて頭角を現し、卒業後はフリーとなって活躍する。資生堂のポスターは次々と反響を呼んで瞬く間に広告写真の金字塔となり、その後も飛ぶ鳥を落とす勢いでファッションフォト、シリアスフォトを先駆した。「俺がはじめて嫉妬した写真家だった」と当時電通にいた荒木経惟が言うように誰も真似ができない写真を撮る早熟の天才だったのである。70年後半以降の山口小夜子と山海塾のコラボ作品、また三宅一生のブランドイメージに携わった作品群、そしてドイツ、イタリアン、フレンチヴォーグの最初の日本人カメラマンとして、活躍の場を世界に拡げてゆく。華々しい広告の世界で名声を上げ羨望されたのは、その質の高い作品を追い続ける横須賀の写真に対する執念に他ならない。そして、そうした作品を発表する背景には、横須賀のプライベートワークに残された作品が饒舌に語りかけてくるのである。ここにご紹介する作品は、広告写真の世界とは一線を画した写真家・横須賀功光が生涯をかけて心眼を冷徹に磨き、常に新しい事に挑んだ写真芸術の軌跡である。

主な受賞歴
1963年第7回日本写真批評家協会賞、及び新人賞、日本写真協会賞新人奨励賞
1970年アメリカン・テレビジョン・ラジオ・コマーシャル・フェスティバルでCLIO賞を受賞
1975年カンヌ映画祭CM部門グランプリ受賞
1989年写真展「光銀事件」で伊奈信男賞を受賞
その他東京アートディレクターズクラブ・ADC賞、広告賞多数受賞。
1937年11月26日、神奈川県横浜市に生まれる。
1956年日本大学芸術学部写真科入学。
1959年資生堂のグラフィックデザイナー村瀬秀明氏に会い、
はじめての仕事、『ハウスオーガン』(社内報)の表紙を撮影する。
1960年日本大学卒業と同時に、フリーのカメラマンとして資生堂宣伝部の仕事を受け活このころからファッション写真を手がけ、服飾デザイナー三宅一生氏に会う。
1964年日本写真批評家新人賞記念写真展(富士フォトサロン)に「射」を出品。
1966年「現代写真の10人展」に出展。<東京国立近代美術館>
1969年ヌードを主題にした個展「亜」を開催。<ニコンサロン(東京)>
1972年個展「壁があった」を開催。<ニコンサロン(東京>
1974年4月に「WORKSHOP写真学校」開設。
1977年個展「ホライズン」を開催。<銀座ニコンサロン、新宿ニコンサロン>
1978年個展「IN BODY」を開催。
1982年日本人初のイタリアンヴォーグ、ドイツヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランスカメ1984年個展「小夜子」を開催。<会期:9月18日~30日、資生堂ザ・ギンザ(東京)にて>
1985年個展「裸体」を開催。<ニコンサロン、新宿ニコンサロン(東京)>
1986年個展「月」(小夜子&山海塾)を開催。<会期:2月14日~2月28日、渋谷パルコ(1989年個展「光銀事件」を開催。銀座ニコンサロン(東京)同作品が第14回伊奈信男賞軽井沢写真美術館の設立にキューレーターとして寄与する。
1990年個展「時間の庭」を開催。<会期8月24日~9月12日パルコギャラリー(東京)
1991年「日本写真の転換 1960年代の表現」展 <東京都写真美術館>
1992年「写真家は何を表現したか1960~1980 Photography」展<Konica Plaza>
1993年「時代をひらいた写真家たち1960~70年代」展<東京都写真美術館>
個展「エロスの部屋」プラチナプリント展を開催。<ザ・ギンザ・アートスペース(東1994年個展「光学異性体」を開催。<銀座ニコンサロン(東京)>
1996年「日本の写真内なるかたち外なるかたち第二部戦後写真の変容1945~80」展4月より日本大学芸術学部写真学科非常勤講師としてゼミナールを担当。
1998年作品「マン・レイオマージュ」を制作。(未発表)
急性リンパ性白血病を発病する。
2003年1月14日死去。


コレクション
ジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館、川崎市民ミュージアム、トッパンコレクション、
清里フォトミュージアム、神戸ファッション美術館、東京都写真美術館
主な出版物
写真集「射映像の現代:9」中央公論者, 1972年
三宅一生作品集「ISSEI MIYAKE/East Meets West - 三宅一生の発想と展開」平凡社, 1978年
写真集「横須賀功光と女たち- サマーガール・写ガール文庫(4)」日本芸術出版社,1982年
写真集「ザグッド=バッドガール」講談社,1982年
写真集「小夜子」文化出版局, 1984年
写真集「月:小夜子/山海塾」PARCO出版局, 1986年
写真集「光と鬼横須賀功光の写真魔術」PARCO出版局, 2005年

Opening reception party
2012年5月16日(Wed)18:00 ~


全文提供:EMON PHOTO GALLERY
会期:2012年5月16日(Wed)~2012年7月21日(Sat)
時間:11:00~19:00 土曜11:00~18:00
休日:日・祝日
会場:EMON PHOTO GALLERY
Last Updated on May 16 2012
 

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