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「軽井沢の風」展 日本の現代アート1950-現在
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Published: April 24 2012
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草間彌生《自己消滅》1966-74
ミクストメディア 168.0×400.0×300.0
所蔵:ホワイトストーンギャラリー

吉原治良《円》1971
油彩、キャンバス 45.5×53.0
所蔵:ホワイトストーンギャラリー

岡本太郎《縄文人<立体>》1982
繊維強化プラスティック
158.0×150.0×120.0
所蔵:川崎市岡本太郎美術館

千住博《ザ・フォールズ》2000
紙本着色
116.7×363.6
所蔵:ホワイトストーンギャラリー

軽井沢ニューアートミュージアム外観(内装リニューアル工事前)撮影:西川 公朗 (Nishikawa Masao)

2012年陽春の候、軽井沢に新しい美術館、Karuizawa New Art Museum(軽井沢ニューアートミュージアム)がオープンします。 軽井沢ニューアートミュージアムでは、開館記念展として「軽井沢の風」展 日本の現代アート1950-現在いま」を開催いたします。本展はここ半世紀あまりの現代美術の分野において、国内外で評価されてきた作家および現在活躍中の作家に焦点を当て、これらを展望できる展覧会となります。 具体的には、1950年代の日本前衛アートの草分け的存在である岡本太郎、草間彌生、井上有一から、際立った個性で日本のみならず欧米諸国で再評価の高まっている「具体美術協会」の作家を展覧するとともに、これらに続く世代で日本の伝統を発展的に継承し、独自のオリジナリティを生み出している同時代のアーティストや建築家の作品も同時に展覧いたします。 本展は、日本の現代美術を新たな視点から捉える軽井沢ニューアートミュージアムの最初のメッセージとなります。

[作家プロフィール]
主な出品アーティスト


草間彌生 Yayoi Kusama (1929- )

1929年、長野県松本市生まれ。10歳の頃より水玉と網模様をモチーフに幻想的な絵画を制作。57年渡米、巨大な平面作品、ソフトスカルプチャー、鏡や電飾を使った環境彫刻を発表する。60年代後半にはボディー・ペインティングなど多数のハプニングを行う。ヌード・ハプニングでは自身の身体に水玉を描き、それを星や地球に見立てて自己消滅を訴えた。ここにおいても草間の芸術創造のベースにあるのは、極大と極小のせめぎ合いの中での個としての存在の葛藤であると言えよう。そうした問題意識を抱きながらも、一方で草間は愛すべき作品やモニュメンタルな環境彫刻なども数多く手掛けている、抽象表現主義からミニマルアートへの歴史的転換に寄与した世界を代表するアーティストである。93年第45回ベネチア・ビエンナーレに代表作家として日本館初の個展を行う。98年ニューヨーク近代美術館などで大回顧展が開かれる。01年朝日賞受賞。04年「クサマトリックス」(森美術館)は52万人を動員。09年文化功労者に選定される。11年5月よりマドリードの国立ソフィア王妃芸術センターを皮切りにパリのポンピドー・センター、ロンドンのテート・モダン、ニューヨークのホイットニー美術館を巡回する大規模な個展を開催。


吉原治良 Jiro Yoshihara (1905-1972 )

吉原治良は画家であるとともに、多くの優秀な作家を擁した「具体」という美術運動の指導者であり、さらに製油会社の社長という実業家でもあった。吉原が画家となったきっかけは藤田嗣治との出会いであった。藤田に自分の作品を見てもらった時に「他人の影響がありすぎる」と批判されたことは、のちに「他人の真似はするな」と「具体のメンバーに口癖のように言うことへとつながっていく。画家としての吉原は、1934年の二科展に5点初入選というデビューを飾り、以後二科展を中心にシュールレアリスムと抽象という、20世紀絵画の二つの重要な潮流の系譜に属する作品を発表する。その後第二次大戦の体験を踏まえて、人間をイメージした作品を制作した後、1954年に彼を慕う若い作家たちと「具体美術協会」を立ち上げる。この頃から吉原の作品は、画家の肉体と絵具やキャンバスという物質との直接的なかかわり合いそれ自体を強調し、絵具が物質としてそれ自体のことばを語り絶叫しているようなダイナミックなものとなる。それは1957年に来日したアンフォルメルの主唱者で美術評論家のミシェル・タピエらにいち早く注目されるところとなったが、吉原の活動はアンフォルメルなどの影響によるものではなく、あくまで彼自身の創意によるものであった。1962年頃からは一連の円の作品が展開され、色彩と造形という表現手段を厳しく限定しながら、そこに無限に複雑な変化と、すべてを包摂しつつ拡散する緊張感にあふれた作品を発表した。


岡本太郎 Taro Okamoto (1911-1996)

神奈川生まれ、東京青山育ち。東京美術学校洋画科(東京芸大)を半年で中退し、1929(S14)父のロンドン軍縮会議取材に伴い、両親と共に渡欧し、そのまま単身パリのソルボンヌ大学哲学科に留学した。 ピカソに影響されるが、シュルレアリスムに関わったことでそちらに傾斜した。 パリには11年間滞在したが、'40ドイツ軍のフランス侵攻を受け帰国。帰国後、二科会に参加。'42~'45陸軍二等兵として召集され中国に出征。'47平野(岡本)敏子(同墓)と出会う。敏子は後に養女となった。'48阿部公房、花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」を結成。'52東京国立博物館にて見た、縄文土器の強烈な表現に不思議なモノを感じ、また沖縄の魅力にも影響を受けた。 アヴァンギャルド芸術、対極主義を主張し、『夜明け』『重工業』『森の掟』等の問題作を次々に発表。以後、他国で個展を開くようになる。'54現代芸術研究所を設立し、『今日の芸術』刊行。'56旧東京都庁舎に『日の壁』『月の壁』など11の陶板レリーフを制作。'61二科会を脱退。'67日本万国博のテーマ展示プロデューサーになり『太陽の塔』を制作('70大阪万国博覧会)。 他に、『こどもの樹』『母の塔(原作)』『座る事を拒否する椅子』など、平面・立体作品を数多く残し、文筆活動も精力的に行った。後年はTVなどメディアへの露出も多く、「芸術は爆発だ」のCMで庶民的にも知名度は高い。80歳頃からパーキンソン病を患い、急性呼吸不全のため慶応義塾大学病院にて逝去。享年84歳。


千住博Hiroshi Senjyu (1958- )

千住博は1995年のヴェネツィア・ビエンナーレの絵画部門で優秀賞を受賞した。それ以後「滝の千住」として国際的に認知され、日本のみならず海外でも高い評価を受けてきている。千住は中国の宋元画の圧倒的な空間表現と、第二次大戦後のアメリカの抽象表現主義の絵画を見据えたうえで、自然とともに生きる現代の日本人として、日本の伝統に立脚したうえでの斬新な表現を追究してきた。滝や波や雲や崖などに仮託して、人知を超えた大いなる自然を天然の素材を用いて描く手法は、アンドレ・マルローの言う「サクレ」の描出であり、バーネット・ニューマンによって再提起された「崇高」に対する現代の日本人による応答である。彼の表現における主たる関心事は、この時間と空間を、すなわちこの宇宙をどのようにとらえるかという、存在の根源への探求である。それにより、水や岩や木や大気といった最小限の構成要素で、遠大な宇宙を表現する作品を生み出してきた。それは、時間とともに移りゆく無常の世界こそこの世の真実であり、そこにこそ美を見出しうるという確信の表白となっている。2011年には軽井沢の地に個人美術館を開館しAPECでのホスト画家として大任を果たし、日本の古刹大徳寺聚光院の襖絵の奉納も間近に控え、世界的に活躍している画家である。

1.内覧会・レセプション
日 程:2012年4月25日(水)
2.開館式
日 程:2012年4月27日(金) 午前10時〜
3.サタデーイベントプログラム
毎週土曜日の午後4時から午後6時までをイベントプログラムとして、レクチャー、ワークショ
ップ、コンサート、パーティ等を開催予定です。

※ 特別内覧会4月25日(水)午後2時〜
※ 前期と後期に展示替えをします。
前期:4月27日(金)〜 6月25日(月)/後期:6月27日(水)〜 9月2日(日)


観覧料:hpをご参考ください。

軽井沢ニューアートミュージアムhp

全文提供:軽井沢ニューアートミュージアム


会期:2012年4月27日(水)~2012年9月2日(日)
時間:4月 〜 6月:午前10時 〜 午後5時 (金曜・土曜は午後7時まで。入館は30分前まで) 7月 〜 9月:午前10時 〜 午後6時 (金曜・土曜は午後9時まで。入館は30分前まで)
休日:火(祝日の場合はその翌日)
会場:軽井沢ニューアートミュージアム
長野県北佐久郡軽井沢町1151-5

Last Updated on April 27 2012
 

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