| EN |

中川トラヲ:Plastic Art
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2012年 4月 20日

中川トラヲ Plastic Art DM画像

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。 児玉画廊|東京では4月14日(土)より5月19日(土)まで中川トラヲ個展 「Plastic Art」を下記の通り開催する運びとなりました。 このステートメントにあるように、中川の作品は常に偶然から次第に浮 かび上がる情景をそっと捉えていくように描かれます。昨年の個展「ポ ストスクリプト」( 児玉画廊|京都) では、薄いベニヤ板上に描き、 「厚み」を排除した一連の作品を展示しました。厚みを極力感じさせな いように徹する事で、ペインティングからイメージのみが抜け落ちて壁 面に焼きついたかのような印象を与え、これまでの「絵画」としての見 え方や、支持体としてのキャンバスやパネルに依存して成り立つという 形式から逃れることで、イメージが如何に存在し、表象されうるのか、 という根源的な疑問を 自らに問うたのです。その思惟を象徴する作品と して、画像データを故意にクラッシュさせたイメージを抽象的な色面構 成としてプリントした作品をペインティングと並列して見せていました が、このぜいぜい数キロバイトのデータでしかないものが作品として等 価に存在するという事実は、制作者として理解しつつもなぜか納得し切 れない問題意識を中川自身の心に残しました。 「Plastic Art」とは本来造形美術を意味する言葉ですが、中川はそこに 「Plastic」=作り物の、見せ掛けだけの、偽物の、 というニュアンスを 重ねてイメージしています。これまで、具体的なモチーフを排し偶然か らイメージをたぐり寄せるような手法に徹して、何もないところから、 何処にもない情景を作り続けてきた中川ですが、結局、自身の作品が何 かを写し取る、あるいは模倣するものでしかない、と自棄してしまった ということなのでしょうか。そうではなく、今目の前にある「絵画」と しての作品は「Plastic」である、と敢えて言い放つことによって、自身 の作品を「絵画」たらし めている本質のような何かを相対的に捉えよう としているように思えます。また、そうすることによって、先述した絵 画の意義と価値に対する疑念を払拭せんとする極限的な覚悟を示してい るのです。 つきましては本状 をご覧の上、ご高覧賜りますよう何卒宜しくお願い申 し上げます。
敬具
2012年4月 児玉画廊 小林 健

[作家コメント]
緑色の絵の具を含ませた筆を、キャンバスにルーズに運ばせる事によっ
て出来た曖昧な模様の中に、森が現れる事。または偶然描かれた水色の
色面に浮かび上がる川、湖。再現出来ない偶然の形。それらを重ねてい
く事でイメージはさらに広がっていき、キャンバスに差し込む窓の光や
パネルの木目ともイメージが重なり一枚のタブローになる。

中川トラヲ

レセプション:4月14日(土)18時より

全文提供:児玉画廊 | 東京


会期:2012年4月14日(土)~2012年5月19日(土)
時間:11:00~19:00
休日:日月祝
会場:児玉画廊 | 東京

最終更新 2012年 4月 14日
 

関連情報


| EN |