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宮永愛子:はるかの眠る舟
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 4月 22日

© Aiko MIYANAGA / Courtesy of Mizuma Art Gallery ≪凪の届く朝≫(部分)2008年 ナフタリン、ミクストメディア 写真:宮永愛子

1974年京都市に生まれた宮永愛子は、これまでに大山崎山荘美術館での日比野克彦との二人展(2004)やすみだリバーサイドホール・ギャラリーでの個展(2007)、昨夏の釜山ビエンナーレ(2008)など、国内外の展覧会において高い評価を受けてきました。今年1月の資生堂ギャラリー「第3回シセイドウアートエッグ 宮永愛子展」に続き、現在開催中の国立新美術館「アーティスト・ファイル2009」でも色をテーマにしたインスタレーションを発表している、今まさに注目を浴びる期待の作家です。

宮永の作品は展示期間中に少しずつ変化することで知られます。例えば常温で昇華するナフタリンを使った日用品のオブジェは、宮永の代表的なイメージのひとつです。アクリルケースの中で、宮永が与えたかりそめの姿はゆっくりとその形を失っていきます。時計の時針にも似たそのゆるやかな、誰も実際に見ていない変化を、私たちは気配としてのみ認識するのです。かたちを解かれ、姿を失いゆくかに見えるナフタリンは、ケースの中で再び結晶を結びます。それらケースの中のものたちは、私たちの網膜に静止した物質として映ります。しかし同時に、私たちの目はケースの中に流れている日常とは異なった時間を見ています。このとき私たちが目にしているものは「物質」ではなく、結晶化した「現象」です。結晶化した暮らしや世界は元来アートが目指した永遠性を、失うことによって逆説的に顕在化しているのではないでしょうか。このとき、私たちがそこに見出す「永遠の痕跡」は宮永の全作品に通底するものです。

本展で宮永は「時」を複合的に提示します。仄暗い会場の中に浮かぶひとつの長持(ながもち)。その中には目覚めと眠りが潜んでいます。目覚めている「時」と眠っている「時」。眠りは目覚めを内包し、その静謐は常にゆらいでいます。私たちはそこでどのような夢を見ることになるのでしょうか。時計の時針よりもゆっくりと変わりゆく私たちもまた、失われ、かつ結晶を結びながら固有の時の流れの中に漂っています。宮永の作品の前に立つ私たちは無意識に自らと「永遠の痕跡」を重ねつつ、しばしその動きを止め小さな眠りにつくのです。

※全文提供: ミヅマアートギャラリー

最終更新 2009年 4月 22日
 

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