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菱田雄介写真展:border / McD
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2012年 1月 15日

《2000ロシアモスクワ》Copyright © 菱田雄介

ブルームギャラリーでは、2012年はじめの展覧会として、菱田雄介写真展「border / McD」を開催いたします。
2010年にCANON写真新世紀で佳作を受賞した北朝鮮と韓国のポートレイトを併置したシリーズをはじめ、国境や軍事境界線など、地図上に引かれた「線」とその周辺にある光景を撮ることをテーマとしてきた菱田が、グローバル展開をする「borderless」なハンバーガーチェーン店「マクドナルド」をテーマにした本シリーズ。
これまでの作品とは対極にあるようなテーマにも思えるが、国や宗教を超えて存在することの中にこそ「境界線」が見える、ということもあり、これまでの「border」シリーズの一環として本シリーズも捉え、発表いたします。
菱田が訪れた様々の国のマクドナルドを見比べる中で、それらから境界線を感じとっていただければと思います。
是非ともご高覧ください。

[作家コメント]
かつて日本マクドナルドのCMで、「♪世界の言葉、マクドナルド」という歌が流されていた。マクドナルドの店は世界中にあり、世界中の人が僕たちと同じように「今日はマックにしよ」などと思いながら暮らしている…。
そんなことを想像すると愉快で、1990年代半ばに20代前半だった僕は「これから各地を旅するにあたり、その土地のマクドナルドを撮ろう」と思った。

最初はグアムでの1枚。パリでは景観に合わせて白いアーチを描く「M」に、台湾では「麦当労」という言葉に感激してシャッターを切った。世界中にマクドナルドがあり、その周辺にある「日常」が日本にあるそれと、どこか繋がっているような気がした。
マクドナルドが日本に上陸したのは1971年。僕が生まれる1年前のことである。以来40年、Mに行列した時代はすぐに過ぎ去り、日本中どこに行っても赤と黄色の看板を見かける位に、それは日本に溶け込んだ。マクドナルドの向こうにアメリカを見る、ということではなく、それは日本文化そのものの中の一角を占めるようになった。(高校時代に同級生がマックでバイトを始めるとか、そういうことも含めて)

マクドナルドが「世界の言葉」となるということは、そういう「文化」そのものが「世界の文化」になるということだと思う。僕はマクドナルドでアルバイトをしたことはないけれど、フライドポテトを揚げた時の感覚とかバーガーを紙で包んだあと、スーッと投げるように配膳待ちの棚に移すあの感覚も、世界中に広まっているということなのだろう。もちろん、ビッグマックのあの「味」も。
アメリカの社会学者ジョージ•リッツァは、著書「マクドナルド化する社会」で、あらゆるものが合理化を目指す社会(Mcdonaldization of Society)について警鐘を鳴らした。1993年に最初に書かれたこの本の主旨は主に米国のマクドナルド化(=徹底的な合理化)を批判的に論じているが、一方でモスクワや北京、つまりアメリカと対立してきた国々でのマクドナルドの受容についても書かれている。マクドナルドの進出は、その国の持つ文化を侵すことになるのか?1998年に書かれた続編「マクドナルド化の世界」では、グローバリゼーションを取り上げ、「アメリカ化への焦点化が、独自のローカル文化が有する重要性を否定することにはならない。」「マクドナルドはいつもローカル市場に適応するし、またその相手側である地元の店舗は、これらのレストランを自らの文化に合わせて改変する」と指摘している。「異質化と同質化の同時進行」である。「♪世界の言葉マクドナルド~」という言葉は、マクドナルドという異質なものを取り込み、同質化したことの象徴である。
グローバリゼーションは、受容する社会に異質なものを押し付けるが、同時に、受け入れた社会はその異質なものを「同質化」する。
今回、「border/McD」という写真展に提示した写真は、まさにその「同質化」の姿だと思う。1994年から2011年にかけて世界各地で撮影されたマクドナルドの黄色い「M」は、時にひっそりと、時に堂々と街に存在している。
マスカット(オマーン)のマクドナルドは中東の風に吹かれて美しく、バンコクのマクドナルドは、洪水で水没している。ザグレブ(クロアチア)のマクドナルドは石畳に映えて美しく、ベオグラード(セルビア)で撮影したマクドナルドは、暴動に晒され、無惨な姿となって営業を停止していた。

(「M」マークは反米暴動のターゲットになることが多い。同質化が受け入れられない人もいる)。

一方、マクドナルドの無い国、北朝鮮。最近、マクドナルドに似たハンバーガーショップが遊園地内にオープンした。
2010年代前半の今、グローバリズムが世界的な問題になっている。「一つのヨーロッパ」を目指したEUは、ギリシアの経済破綻に端を発して財政悪化が深刻化し、先の見えない状態が続く。大地震と原発被害に苦しむ日本は、太平洋経済連携協定(TPP)参加をめぐってその是非が問われている。
経済のグローバル化は、国々のアイデンティティと、どう折り合いを付けていくことができるのか?
各地のマクドナルドを思い返しながら、そんな事を考える。
ところで、こうした光景はいつまで見られるのだろうか?上述のリッツァは「マクドナルドは将来のある時点で間違いなく凋落するか消え去るだろうが、そのときにはマクドナルド化の過程はより深くアメリカ社会と世界の大部分に浸透しているだろう」と書く。
未来の人へ。その「将来のある時点」が来たとき、これらの写真を見返してほしい。そこに見えるのは遠い昔の「グローバル化への夢」なのだろうか?
それとも「当たり前すぎて気にもとまらない日常」なのだろうか? 
菱田雄介

[作家プロフィール]
菱田雄介

写真家/テレビディレクター
1972年東京生まれ、慶応義塾大学経済学部卒
2001年の同時多発テロ以降、歩みを早めた歴史と、その流れの中に存在する人々の営みをテーマに写真を撮影。
写真集に、NY、アフガン、イラク、日本等の日常を記録した『ある日、』(2006 プレイスM/月曜社)
チェチェン独立派によって戦場となった学校の1年後を追った『BESLAN』(2006 新風舎)、
最新作として写真評論家飯田耕太郎と『アフターマスー震災後の写真』(2011 NTT出版)を出版。
2006年NIKON三木淳奨励賞受賞 2008年、2010年CANON写真新世紀 佳作

全文提供:ブルーム・ギャラリー


会期:2012年1月18日(水)~2012年2月5日(日)
時間:12:00~19:00 (最終日~17:00)
休日:月曜日、火曜日
会場:ブルーム・ギャラリー

最終更新 2012年 1月 18日
 

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