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栗原一成 個展 :「この雨は水ですか」
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 12月 14日

栗原一成《鑓水山》2011|65.2x80.3|油彩、キャンバス|画像提供:東京画廊+BTAP

この度、東京画廊+BTAPでは栗原一成による個展『この雨は水ですか』を開催いたします。2年ぶりの個展となる本展覧会では、2009年以降に制作された新作絵画15点を展示いたします。

栗原一成は1967年神奈川県横浜市生まれ。1995年に多摩美術大学大学院美術研究科を修了後、数々の個展・グループ展で絵画やインスタレーション作品を発表してきました。2005年には鎌倉にアートスペース「Gallery Stump Kamakura」を設立し、また2011年には自身で内装を手がけた「ゲルオルタナ / Alternative Space Gel」を設立するなど、作品制作以外においても多岐にわたる活動を続けています。また、現在では多摩美術大学絵画学科油画専攻の専任講師として教鞭を執っています。

栗原の作品に画面の中心は存在せず、それぞれのイメージが画面上に彷徨します。人間なのか動物なのか植物なのか、それとも単なる形象なのか、一目見ただけでは判断できない複数のイメージが鮮やかな色彩によって描かれています。明確な輪郭を持たない曖昧なイメージ群は多義的な意味を内包し、生成されては消滅する線の連なりによって、枠外へ浮遊してゆく印象をもたらします。また、栗原は描くという行為によって複数の自己を現前させるといいます。そこにあらかじめ決められた終着点はありません。決定不可能な状況で描くことは、特定のイメージに固定し得ない形象を次々と生み出します。多様な選択肢のある現在性において予想外の事柄が生まれ、それを通じて新たな自己が発見されると作家は言います。

本展のタイトル「この雨は水ですか」は、雨の滴が手のひらに落ちた瞬間に雨から水へと概念が転化されたと感じた、作家自身の体験に基づいています。栗原はこのようにすべての事象が曖昧さの中で浮遊し続ける現実世界をキャンバス上に再現します。栗原が見た新たな世界を是非この機会にご高覧ください。

栗原一成
1967 神奈川県横浜市生まれ
1993 多摩美術大学絵画科油画専攻卒業
1995 多摩美術大学大学院美術研究科修了
2005 Gallery Stump Kamakura 共同で設立
2011 ゲルオルタナ Alternative Space Gell設立
現在 多摩美術大学絵画学科油画専攻 専任講師

主な個展
2000 「ツカム雨」ギャラリー手、東京キュレーター・テキスト/堀浩哉
2001 「第2回美術家助成プログラム受賞記念展」セゾンアートプログラム・ギャラリー、東京
ベイスギャラリー、東京
2003 「無刀、因果風景」東京画廊+BTAP、東京
ベイスギャラリー、東京
2008 「盲視」東京画廊+BTAP、東京
2011 「この雨は水ですか」東京画廊+BTAP、東京

主なグループ展
2001 「小林康夫によるセゾン現代美術館コレクション展 筆触のポリティクス」セゾン現代美術館、軽井沢
「かたちを求めてー11人の日本人作家」釜山市立美術館、韓国
2002 「第17回平行芸術展 桜の花は匂わないか?」エスパスOHARA、東京
2004 「新東京画廊展」東京画廊、東京
2006 「キミ・ボクはいない~晴れはれ」Gallery Stump Kamakura、鎌倉
2007 「SKIP!」Gallery Stump Kamakura、鎌倉
「BTAP-Works in Progress」東京画廊+BTAP、北京
2008 「里程碑 Milestones」東京画廊+BTAP、北京
2010 「Contemporary Art of China and Japan」釜山市立美術館、韓国
「ミクロサロン60」東京画廊+BTAP、東京
2011 「りょうたといっせいとたけと/ドローイング展」ゲルオルタナ、東京

全文提供: 東京画廊+BTAP


会期: 2011年12月2日(金)-12月27日(火)
開廊時間:  (火-金)11:00-19:00 (土)11:00-17:00
*日・月・祝 休廊
オープニング・レセプション 12月10日(土)16:00-18:00
会場: 東京画廊+BTAP|東京

最終更新 2011年 12月 02日
 

編集部ノート    執筆:田中みずき


栗原一成《鑓水山》2011|65.2x80.3|油彩、キャンバス|画像提供:東京画廊+BTAP

画面を埋めるように描き込まれたものを観ていくと、人であったり植物のようであったりする。ぎゅうっと詰め込まれ、混沌としているなかにも、明るい色彩から感じられる可笑しみや、にじんだ輪郭線からの所在なさげな切ない雰囲気が感じられて見入ってしまう。生活のなか、どこかで観たものが、見つかった気持ちになるのも面白い。

言葉にしないままでいて、溢れてしまったなにかのような作品、ぜひ画面の前で確かめて欲しい。


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