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生誕100年 ジャクソン・ポロック展(東京)
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 8月 26日

《ナンバー11、1949》1949年 インディアナ大学美術館 | Pollock, Jackson (1912-1956)《Number 11, 1949》Indiana University Art Museum/ Duco, aluminum, and paint on canvas/45 x 47 inch © 2011, Indiana University Art Museum / Jane and Roger Wolcott Memorial, Gift of Thomas T. Solley, 75.87/Photograph by Michael Cavanagh and Kevin Montague

《インディアンレッドの地の壁画》1950年 テヘラン現代美術館/Tehran Museum of Contemporary Art

1949年、アメリカの大衆誌『ライフ』に「ジャクソン・ポロック―彼はアメリカで今生きている最も偉大な画家か?」というセンセーショナルな記事が掲載されました。そこには、自作の前に立って咥えタバコで腕を組み、にらむように無愛想な視線をこちらに投げ掛けている一人の男の写真がありました。それが、現代アートの革命児、ジャクソン・ポロック(1912-56年)です。その記事によってポロックの名は、アメリカ国内はもちろんのこと、世界中に響き渡ることになりました。

18歳の時ポロックは、芸術家になることを志して西部からニューヨークに出てきました。そんな彼の前に立ちはだかったのは、あのピカソでした。ポロックの妻は、彼のピカソとの格闘の様子を伝える次のような壮絶なエピソードを語っています。「ある時何かが落ちる音が聞こえました。そしてジャクソンが大声を上げるのが聞こえたのです。『くそっ、あいつが全部やっちまった!』。私は何が起こったのか見に行きました。すると、ジャクソンはどこかを見つめながら座っていました。床には、彼が投げつけたピカソの画集がありました」。しかしやがてポロックは、床に広げたキャンバスの上一面に塗料を滴らし、流し込み、撒き散らすという独特のテクニックとスタイルを確立し、ピカソを超えた新しい絵画芸術の地平を切り開くことを果たすのです。そこでは、ピカソの絵画においてもなお残存していた中心-部分の関係、図-地の関係といった因習的な構造を破壊した、これまでとは別次元の絵画世界が生み出されていました。

そのポロックも、飲酒による自動車事故で1956年に44歳の若さでこの世を去りました。しかし、その後彼の芸術は世界の誰もが認めるところとなり、ジャクソン・ポロックは名実ともにアメリカで最も偉大な画家、そしてピカソ後の最も重要な画家となりました。2000年にはエド・ハリス監督・主演による伝記映画「ポロック―2人だけのアトリエ」が製作・公開され、その映画はアカデミー賞(助演女優賞)も受賞しました。また、2006年にはポロックの作品が1億4000万ドル(当時のレートで約165億円)で売れ、それまでの史上最高額を叩き出しました。そして、2012年の生誕100年を前に、ポロックに対する世間の関心はますます高まってきています。

本展は、ポロックの生誕100年を記念して開催する日本初の回顧展です。ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、テートをはじめ、世界の名立たる美術館からポロックの重要な作品がやってきます。絵画を中心に、素描、版画を含めて約70点の出品を予定しており、初期から晩期に至るまでのポロックの仕事の全貌を紹介します。さらに、制作中のポロックを捉えた貴重な映像や写真、ポロックのアトリエの原寸大モデルや彼が使用していた特殊な画材なども併せて展示し、ポロックの制作の秘密に迫ります。このような本格的なポロックの個展は世界的に見ても稀有で、本展はジャクソン・ポロックという20世紀の伝説的画家の偉業を振り返る絶好の機会となります。

公式ウェブサイト: http://pollock100.com/

全文提供: 東京国立近代美術館


会期: 2012年2月10日(金)-2012年5月6日(日)
会場: 東京国立近代美術館

最終更新 2012年 2月 10日
 

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