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平井友紀/阿部隆大  『物体としての/物質としての/写真』
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Published: September 29 2011
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画像提供:TAP Gallery | Copyright © 平井友紀,阿部隆大

 

同時開催 FFLLAATT

「表層に起こる現象」
平井友紀 阿部隆大
FFLLAATT(Web Gallery)
2011年11月1日(火)~12月31日(土)

トークショー TAP Gallery+FFLLAATT
「現実と虚構」11/1(火)21:00-22:00
平井友紀/阿部隆大/櫻井史樹/楠見清
こちらは、FFLLAATTからUstreamでもご覧頂けます。

密会なき密約──画家と写真家の交信記録
楠見清(美術評論家/首都大学東京准教授)

これはいわゆる二人展ではない。なぜならどの作品がどちらの作家のものか判然としていないから。
かといって、これはコラボレーション展というわけでもなさそうだ。
ふたりは9月になって作品制作を始めてから展覧会初日までまったく顔を合わせるつもりはないというから。
それでは、これは一体何なのか?
今回、ふたりはそれぞれが用意した写真をメールで送り、相手から送られてきた画像に手を加えて送り返すという作業を2か月にわたって続けている。
画像の交換は一回に留まらず何度も往復される。
ふたりが決めたルールはもうひとつ、制作中は会うことも電話で話すことも一切せず、連絡はすべてメールだけで行うというものだった。
あえて文通のような関係で交信するのは、たがいに距離を置き、たがいの制作行為を暗闇のなかに追いやるためではないかと僕は想像する。
いまふたりがしているのは相手の目を見ながら行うキャッチボールや声をかけあいながら行うパスワークではなく、ひたすら条件反射的に淡々とテニスボールを打ち続ける壁打ちのように孤独な行為のように思える。
ただ、彼らはすべてを遮断して部屋に閉じこもっているわけでなくふつうに日常生活をしながらパソコンに向かって作業するときだけ姿なき相手と向かい合っているだけ──つまり、この世界からただひとりの相手だけを遠ざけている。
あるいは、ただひとりの人物に対してのみ自分の身を隠している。
彼らの秘密の関係は密会より謎深く、もしかしたら罪深い。

写真に画像処理を加えイメージを変容させていく手法は、以前からふたりの作品それぞれに見ることができる。
平井友紀は実験的な油彩から破壊衝動的ともいえるライヴ・ペインティングやパフォーマンスへと表現の幅を拡げ、最近の個展「ソレ」(2011年6月、TAP GALLERY)と「saying something」(2011年9月、CountZero)においては写真のイメージを解体することで自身の絵画に通じる平面性を構築してみせた。
いっぽう、阿部隆大は建築やファッションを撮る写真家としての活動だけでは飽き足らないかのように近年、自作の写真、拾い画像を問わず、原型をとどめぬほど加工した抽象的な作品に取り組んでいる。
彼は「符号」をテーマに、写真がもつ被写体の意味を消去していくことでイメージを情報としてコード化し、写真と絵の境界探査を続けている。
絵画から写真のほうへ、写真から絵画のほうへと歩いてきたふたりの最終目的地は違うのかもしれないが、いまここで出会った彼らの手法は見た目にもよく似ている。
オリジナルのイメージをより鮮明にしていくのではなく、むしろ破壊することで意味や意図から解放していく──今回の展覧会はいわば、これまでそれぞれがひとりでやってきたことをさらに推し進めるために、ふたりで交わした期間限定の実験という密約らしい。
ただ、誤解してはいけない。
ここでは絵画が写真に、写真が絵画になろうとしているのではなく、むしろそうならないためにふたりは回線をつないでいる。
入力と出力の反復はひじょうに機械的で、おそらく化学的な融合は期待されていない。

ソレがアレになる。具体的なそのもの(thing)が実体のない何ものか(something)になる。今回インターネット上で公開される「表層に起こる現象」は、ふたりがメールを介して生成した何ものかを閲覧者が自由にダウンロードし共有することによってソレをアレに変える仕掛けのようだ。

ただ、ふたりの目論見はそれだけでは成就しないらしい。
「物体としての/物質としての/写真」と題されたギャラリー展示のほうでは、膨大な加工写真のプリントで壁から床や天井までが埋め尽くされる。
いったんは情報として操作されることで実体のない表層の現象と化したイメージは、ここでふたたび印画紙上に吹き付けられたプリンタ・インクとして実体化され、空間のなかに実装される。

もしそれがまだ写真であるならそこに写っているのは一体どこの風景なのだろう。
もしそれがまだ絵画であるとするならそれを描いた画家は一体どこにいるのだろう。
絵画でも写真でもないアレとは、もしかしたら本来アッチやアノヨといったもうひとつの別の世界(アナザー・ワールド)にあるはずのものなのではないか。
アノヨのものをコノヨのかたちにすることは、芸術の原初的な役割だったことを思い出そう。
絵も写真もいまここにないものを目で偲ぶための似姿=ピクチャー(picture)として、いまここにある。
―楠見清

全文提供:TAP Gallery


会期: 2011年11月1日(火)-11月13日(日)
会場: TAP Gallery

Last Updated on November 01 2011
 

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