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生誕100年 高井貞二展-「昭和」を描いた人-
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 8月 12日

《煙》 1933年|油彩、キャンバス|画像提供:和歌山県立近代美術館|Copyright © Teiji Takai

和歌山県高野口町で育った画家 高井貞二(たかい・ていじ 1911-1986)の画業を回顧します。

いまから100年前、1911(明治44)年に生まれた高井は、1930(昭和5)年、19歳のときに第17回二科展へ出品した《文明》が入選し、メカニズムの画家として画壇に登場しました。飛行機や機械、ビルディングなど近代的な事物への素朴な憧れを反映させた作品は、東郷青児などモダニズムを代表する画家たちに注目され、高井は新進画家として認められていきました。

昭和初期の都市文化から刺激を受けながら、自身の絵画表現を追求する一方、『新青年』、探偵雑誌『ぷろふぃる』をはじめとするさまざまな雑誌の挿絵を手がけ、イラストレーターとしての仕事も始めています。仲間にも恵まれ、「新油絵の会」「集団 新挿絵」などの展覧会グループを創立するほか、二科展の新しい表現を目指した作家たちのグループ「九室会」にも加わって活躍しました。

1931(昭和6)年の満州事変以降、美術にも社会的な役割が求められるようになると、高井はアメリカの壁画運動に学び、より大衆に訴えるモチーフを従軍画家として取材した中国に求め、現地の風物や人々を写実的に描いて好評を博しました。そして、戦後はニューヨークに渡って抽象画家として再出発し、アメリカと日本の数々の展覧会で紹介されています。

時代とともに歩もうとした高井の多彩な作風の展開には、彼が画家として生きた昭和の揺れ動く世相が反映しています。その仕事を見ることは、わたしたちに社会と美術との関係について深く考えさせてくれる機会ともなるでしょう。

この展覧会では、戦時中の大作《国境の少年達》や、『中支風土記』『北を護る兵士達』挿絵原画など初公開の作品を含め、約150点の作品を出品します。

高井貞二
1911(明治44)年 2月5日大阪市生まれ。神戸市、高野口町で育つ
1929(昭和4)年 伊都中学校を卒業。伯父・井上長一の「日本航空輸送研究所」に勤務のかたわら信濃橋洋画研究所に通い、小出楢重、黒田重太郎、国枝金三、鍋井克之の指導を受ける
1930(昭和5)年 上京、第17回二科展に《文明》が初入選し、「メカニズム」の画家として注目された。東郷青児のデザイン事務所「新造型工房」に参加、中川紀元の紹介で雑誌『新青年』に挿絵を持ち込む
1933(昭和8)年 二科展の新進作家たちと「新油絵の会」を結成、第1回展に《煙》などを出品、シュルレアリスムへの関心を深める
1937(昭和12)年 挿絵の仕事を通して知り合った作家たちと「集団 新挿絵」を結成、第1回展に川端康成「抒情歌」による《抒情歌》3点を出品、うち一点を川端康成が購入する
1938(昭和13)年 「九室会」創立に参加。従軍画家として上海、蘇州、南京などをめぐる
1939(昭和14)年 第26回二科展に《支那の市場》を出品、アメリカの壁画運動に刺激を受け、大画面による具象的な群像表現を模索する。絵と文を手がけた「中支風土記」が刊行される
1940(昭和15)年 ハルピン、長春などを旅行。第27回二科展《エミグラントの街》《帰る人々》を出品、特待賞受賞。紀元二千六百年奉祝美術展第二部に《市場》を出品
1941(昭和16)年 第28回二科展《ハルピンの庭》《松花江の船出》出品、会友に推挙
1942(昭和17)年 第一次関東軍報道演習に陸軍美術協会よりソ連との国境近くへ派遣、第30回二科展に《北の国境》、第6回文展に《国境の少年達》を出品、岡田賞を受賞する。「北を護る兵士達」が刊行される
1944(昭和19)年 応召、徳島の部隊に入営
1945(昭和20)年 終戦、この年、向井潤吉、田中忠雄、古屋新、榎倉省吾、田辺三重松、伊谷賢三、柏原覚太郎、小出卓二と9名で行動美術協会を設立する
1951(昭和26)年 行動美術協会を退会
1954(昭和29)年 渡米
1956(昭和31)年 ニューヨークで初めての個展を開く
1958(昭和33)年 ポインデクスター・ギャラリーと契約を結ぶ。この頃から、アメリカ各地の展覧会への出品を求められるようになる
1959(昭和34)年 絵本「Henry and The Red Glove」が刊行される
1959(昭和34)年 ホイットニー・アニュアルに出品
1961(昭和36)年 第27回コーコラン・アメリカ現代絵画ビエンナーレに出品
1963(昭和38)年 宮本三郎、佐野繁次郎、田村孝之助らのすすめで第17回二紀会に出品、委員となり、《作品―1》《作品―2》で第3回福島賞を受賞。この年から日本で開かれる現代美術展にも出品し、個展を開くようになる
1964(昭和39)年 現代美術の動向展(京都国立近代美術館)に出品した《作品―1》が東京国立近代美術館に収蔵
1970(昭和45)年 サウスカロライナ州ウィントロップ女子大学客員教授となる
1973(昭和48)年 アメリカの日本作家展(京都国立近代美術館、翌年東京国立近代美術館)に出品
1979(昭和54)年 和歌山県立近代美術館で回顧展「高井貞二展」開催。絵とエッセイによる回想録「あの日あの頃」が刊行される
1980(昭和55)年 徳島県郷土文化会館で回顧展「高井貞二展」が開催される
1986(昭和61)年6月26日逝去。享年75歳。第40回記念二紀展で《愛》《花火》《嵐し・晴れ・夜》が遺作展示される。昭和61年度和歌山県文化賞を受賞

※全文提供: 和歌山県立近代美術館


会期: 2011年9月3日(土)-2011年10月16日(日)
会場: 和歌山県立近代美術館

最終更新 2011年 9月 03日
 

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