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1970年代へ 写真と美術の転換期 ―複写 反射 投影―:Ⅰ期 写真を選ぶ:視覚の点検
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 8月 11日

高松次郎 《写真の写真》D-1756|1973年 | ゼラチンシルバープリント|52.8×42.0cm | 画像提供:ユミコ チバ アソシエイツ | Copyright © Jiro Takamatsu

60年代末から70年代前半にかけて、表象の仕組みや慣習を批判検討する意図は、世界同時代的な広がりをもって多くの作家たちに共有されていた。すべての既成価値を総括しようとする政治的季節における美術の試行を、今仮に1968年問題と名づけるとしたら、「1968年問題」は、美術と写真のひとつの交差点を形成することになった。

主観の表明、造形主義、遠近法等的な慣習など、表象のシステムを美術作家たちが分析・解体しようと試み始めたとき、新しく清潔で、有効な手段として写真が登場してくる。写真の機器性は主観主義と造形主義を乗り越えるための手段と考えられたし、写真の複数性と非物質感が美術市場価値へのカウンターだととらえられたことも、「1968年問題」のなかで写真が最重要メディアとなった理由に含まれる。

複写機が実用化し、ゼロックスがアーティストに働きかけて作品制作の企画を立てたのも、1970年前後、同じ時期のことである。コピー機は、写真のプロセスを圧縮したもうひとつのカメラとなり、個人的な複製機となってこの時期に多様な方法で使用されている。一方でカメラはしばしば意図的に複写機として使われ、写真作品のテーマに複写と反復が浮上したのも、情報化社会の本格的な幕開けに際した、この時期のことだった。 さらにそれまでは現実を写しだす透明なメディアとして扱われがちだった写真は、独自の仕組みと特性をもったひとつの視覚メディアとして意識されはじめる。写真は現実の等価物ではなく、錯視効果をもった1枚の紙である。この前提から、写真と現実物を重ね合わせるインスタレーションや、肉眼とレンズのずれ、写真の複写機能と現実とのずれをテーマにするコンセプチュアルな作品群を、多くの画家たちが生み出した。表象批判の根幹にかかわるそれらの試みを、CG・3D映像時代の今日に再考する必要があるだろう。

プロヴォーグの「アレブレボケ」、テレビ画面やポスターなどを「現実と等価」に複写してみせる試みも、写真メディアの意識化作業とみることが可能である。この時期の多くの写真家たちがガラス面の反映像や反射光にカメラを向けたのも、写真の原理・機能を意識化したための、メタレベルの撮影行為だと考えられるだろう。

この頃、日本では写真家と美術家のあいだに例外的に密な交流が生まれた。それぞれのサイドから、表象メディアにおける記録と表現の境界を探究し、個人性と非個人性、人為と現象を峻別しようとする課題が共有されていたのである。その課題はつまり、現実をどのように引き受けるか、どのように認識するかという根本問題に、美術によって答えを出そうと苦闘した、1968年問題のもとでのラディカルな意図だったと考えてみたい。そこには、のちに「もの派」と呼ばれることになるインスタレーションの仕事にも通底する問題意識があるだろう。
-光田由里(美術評論)

出品作家
植松奎二、高松次郎、眞板雅文、若江漢字

全文提供: ユミコ チバ アソシエイツ


会期: 2011年9月16日(金)-2011年10月5日(金)
会場: ユミコ チバ アソシエイツ VIEWING ROOM-shinjuku

最終更新 2011年 9月 16日
 

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